一生、一石
石動 瞬(いするぎ しゅん)
「あったぁ!」と千石源治は思わず誰もいない魚野川の川原、中州で大きな叫び声をあげた。
「この石なら親父に自慢が出来るぞ!」と思うと、腰までのウエーダーに入った雪解け水で濡れたズボンも、厚手の長袖シャツの袖口の冷たさも一向に気にならなかった。
「やったぞ!ついに念願の名石を上げたぞ!」と込み上げて来る喜びに、源治は心ときめいた。魚野川の小出地区にある中州上流の石溜まりに狙いを付けた読みが、見事に的中したのだ。
清らかな雪解け水が揺らめく膝下の、水中の中から両手で救い上げた真っ黒な八海山石は、長さが約40cm以上もあり、高さも奥行もある山形石で、所々に深いジャグレがあり、それが見どころになっている。川ずれしたつるつるの部分が清水に濡れ、太陽光を浴びて黒光りしている。
山の連峰が3つあり、どっしりと構えた越後三山の八海山、中ノ岳、駒ケ岳の造形に瓜二つの景を持つ名石で、正に「一生、一石」とも言える素晴らしい水石だった。
「これなら探石名人と言われた父親の源蔵も舌を巻くだろう」と考えると、増々気分が高揚して有頂天になった。
「この八海山石の事は親父以外には、まだ誰にも教えないことにしよう!」と心に決めた。
ずっしりとした重い石を左腕で抱きかかえながら転倒しないように、右手に持った長いバールを杖代わりにして、ゆっくりとした足取りで水をかき分けて中州に戻り、乾いた河原の庭石としても十分な大きさの石に座り込んだ。
ゴツゴツした尻下の石は早春の陽光を浴びて温かく、源治の濡れたズボンを温めて心を癒してくれた。
源治は興奮と感激が覚め止まぬままゲットした水石をしばらくの間、眺めながらそこに佇んでいた…。
「そうだ!大工の文吉爺さんに頼んで、山桜の木材で作台を頼もう。文吉爺さんならこの名石に合わせて素晴らしい水石の台を作ってくれるに違いない」
「そして、池田美術館で7月に行われる『八海山夢展』に出品して、皆を驚かせてやろう」と源治は考えた。
『八海山夢展』は地元魚沼の美術愛好家を中心に、絵画・書道・写真・水石・工芸の5部門約100点が展示される。水石展示会が殆ど無くなってしまったので、八海山石の魅力や見方を紹介出来る貴重な機会の展示会なのだ。
八海山石を傷付けないようにタオルで巻き、リュックサックにそっと入れて背負うと急いで土手の上に止めた軽トラに戻り、荷台にリュックサックやウエーダー、バールを載せてから車のエンジンをかけた。
探石に行く時、狭い河原の藪だらけの道を走るのに重宝する軽トラは、源治の気分を反映してか?軽快なエンジン音を響かせた。国道17号線から県道291号線を通り、約30分かけて五日町の山沿いの杉林に囲まれた自宅に帰った。
雪国の南魚沼市は2m以上の豪雪が降り、根雪期間が100日を超える。長い冬が終わると待ちわびた探石の季節が訪れる。春が来て越後の山々から流れて来る冷たい雪解け水が魚野川に注ぎ、田畑へと引き込まれて美味しい魚沼産のコシヒカリを作り出す。他にも地元の八色地区で産出する大きな八色スイカも甘くて美味しいので人気がある。
長く待ちわびた春が来て、雪が少しずつ解け始めた。八海山の冷たい雪解け水は長年にわたり積もった広葉樹の落ち葉の絨毯を染みて浄化され、沢をちょろちょろとゆっくり流れ落ちて、源流から魚野川へと下って行く。
八海山から六日町方面に流れる川は三国川など3つあるが、八海山石の良石が採れる川は浦佐の水無川だけである。水無川上流の河原の石は大きくて荒い。魚野川との合流点から信濃川への合流点の越後川口周辺までは、川ずれした八海山石の良石が採石出来る好ポイントが多い。
長野県の千曲川から流れて来る日本で一番長い信濃川の河原は広いが、石が細かくて真黒の石が少ないので、水石としての名石をゲットするのは殆ど望めない。
八海山の麓から流れる水無川はその名の通り、普段は殆ど水流がなくて川底が丸見えになっている。しかし、台風時の大雨や線状降水帯などの集中豪雨の時は水嵩が増し、濁流が激しくなって洪水のように一気に魚野川へと押し寄せるのだ。
満水の激流の勢いは大きな石をも軽く動かして下流へと運ぶ。その水流の力による石と石とのぶつかり合いで、大きな石が破壊し、砕けたり、そげたり、川ずれして少しずつ丸くなり角が取れて行くのだ。
大水が引いた後の水無川の川原には普段は川底にあった石が激流によってひっくり返され露出して地表に姿を現わす。だから地元の愛石家がそれを狙って早朝から名石を探して水無川を歩き廻っている。
昭和38年頃の空前の水石ブーム時代から、この地方には水石愛石家が沢山いた。水石愛好家の会も全国や新潟県の各地にも沢山あった。しかし、やがて水石ブームも終焉を迎え、当時の愛石家も高齢になり多くの
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