『老人愛』
村の年寄りは誰もがみんな私に優しく接してくれたので、それ以来、いつも年寄りに対しては親しみと敬意を抱き、温かい眼差しで老人たちの老いる姿を目にしてきた。
「老人愛」ともいうべき愛情をいつも抱いていた。
私は、グループホームや特別養護老人ホームでの介護職の経験もあるが、みんなが嫌がる年寄りの下の世話も少しも苦にならず、老人たちに常に恩返しのような接し方をして来た。残念ながら特別養護老人ホームでの介護職、激職で腰を酷く痛めてしまい退職したので、年寄りと接する機会から遠のいてしまった。
遠い昔に亡くなった村の年寄りたちの記憶は、自分が年齢を重ね高齢者に属した今でもはっきりと残っている。それがお爺さん、伊吹春吉との出逢い、その関係にも深く関わっていたような気がする。
人との出会いは偶然ではない。私が今まで出会った友人たち、その他、多くの人々を思い起こすと、自分から求めた出会いには必然性があり、振り返ると予め決められた運命のようにさえ感じてしまう。
過去に好きになった女性も数人いたが、若い時の失恋の経験もあって、結婚に踏み切れなかった。当時、男として所帯を持ち、子供を作ることが当り前と考えていた。しかし、若さゆえなのか?仕事にも生活にもまだ自信が持てないで、結局、上手くいかなかった。
家庭に拘束される不自由さ、束縛から逃れて自由を求めた結果、好きな女性たちとの結婚にも踏み切れずに自然と別れてしまった。
「年を取ってから独りで生きていくのは大変だから、早く嫁さんを貰え」と、よく家族や周りの人から言われたが、気が付けばいつの間にか自分も老いていた。今はただ過去の出来事すべてが懐かしく想い出されて来るだけだ。
結局、結果的にすべて縁がなく結婚しなかったことは、自由の代償としてひとつも悔いはないし、自由から得たものは数知れず多かった。ただ、息子の行動を信じてくれて、何一つ口を挟まなかった父、昭平と違い、長い間、愛する息子の結婚をひたすら望んで年老いた母、菊乃に孫の顔を見せてやれなかった後ろめたさだけは一生消えない。
お爺さん「伊吹春吉」との出逢いは5年前に盆栽市で知り合った。いつもニコニコとして人の良さそうなお爺さんに何故か?不思議と惹かれ、縁があって私の骨董市等での販売の仕事を手伝って貰らっている。
伊吹春吉は長野県出身、北アルプス麓の北安曇野、松川村の貧しい農家で育ち、6人兄弟の末っ子で、中学校を卒業してからすぐ東京に働きに出た。
東京に住む叔母さんの紹介で、墨田区の下町にある大工の棟梁の家に住み込み、見習い仕事から始めて丁稚奉公のように真面目に働いたという。
「生きていくためには手に職を付けて!」という母、伊吹春代の願いを苦労して叶えた。
春吉は、昭和7年生まれ、戦前、戦中、戦後にかけて「激動の昭和」という時代を生きて来た世代だ。
「けっして人様の迷惑になるようなことをしてはいけないよ」と言って、東京に上京する日、優しい母親が心配し、涙を流して、大糸線の小さな無人駅、「安曇追分」で春吉を見送ってくれたそうである。その言葉を守り、一生懸命働き努力して生きて来た。やがて大工の腕を磨いた春吉は、有限会社「伊吹工務店」を開業して、従業員を数人雇うまでになったという。
アメリカ人の友人のためアリゾナ州に日本家屋を建てたのが、お爺さんの自慢の種だった。その話をする時、お爺さんの横顔には、月日の流れが皺となって深く刻まれて優しさが滲んでいた。
「アメリカに行きたい。何度か訪れた友人たちと、もう一度会いたい」と、お爺さんはよく言っていた。
私は30年ほど前にアメリカの西海岸、ロサンゼルスとサンフランシスコに約3ケ月間、行ったことがある。アリゾナは行ったことがないので、足腰が動く間にぜひお爺さんと一緒に訪れて、お爺さんが建築した日本家屋をぜひ見たいと考えていたが、その夢は新型コロナウイルス感染の拡大によって残念ながら叶えられなかった。
「若い時は戦争で食料も不足して、散々苦労してきた」とお爺さんは言う。
戦後の貧困から高度経済成長期へ、時代の大きな移り変わりを経験したお爺さん。一緒に頑張ってくれた職人たちも高齢でみんな死んでしまって、自分独りになり、寂しがっていた。
「今は工務店も閉め、好きな畑仕事をのんびりとやれるから幸せだ」とも話していた。
「米寿まで生き伸びたのだから、いつ死んでもいいよ」
3月10日にお爺さんが88歳の誕生日を迎えた時、冗談のように笑いながら言っていた。
お爺さんの誕生祝いにセイコーの腕時計をプレゼントすると喜んでくれた。無くすといけないからと、大事にして普段は持ち歩かない。去年の誕生日には洒落た紳士用の帽子をプレゼントした。それをとても気に入って喜んでくれた。年の割にお洒落なお爺さんは、展覧会などに出掛ける時、必ず
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