「レイクエム1」 A自粛生活

『自粛生活』

私はずっと家に引き篭り、気分転換もできずに滅入ってしまい、つまらない日常生活を過ごしている。これがコロナ渦以前の「普通の日常」とはどうしても思えない。
お爺さんにはいろんなことで随分とお世話になった。数え上げたら切りがない。高齢なのに私の世話ばかりか、腰の悪い私に代わって犬の世話や散歩までしてくれていたのだ。
昨年暮れ、長年にわたり痛めていた腰が悪化して、ついに歩行困難になり、日常生活にも支障をきたすようになったから、思い切って腰の手術をした。今、私の腰には4本のチタン合金のボルトが埋め込まれている。
私が腰の大手術を受けている6時間もの間、お爺さんが、病院待合室の椅子に一人で座り、ずっと待っていてくれたことを私は一生忘れない。身内のいない私には、まさに父親のような存在だった。  
入院時も毎日、見舞いに訪れ、時おり小雪が舞うみぞれ雨の寒い日にも来てくれたのだ。
「大変だし車だと危ないから、毎日、毎日、見舞いに来てくれなくてもいいよ!」と、私が病院の白いベッドに寝ながら言っても、突然、お婆さんを連れて見舞いに現れたりした。
手術から10日後の退院日、お爺さんが、自分の軽自動車で迎えに来てくれた。高齢のお爺さんに運転させるのが大変申し訳なくて、感謝の気持ちで胸がいっぱいだ。
お爺さんの家に到着すると、大工のお爺さんが新しく作ってくれた犬小屋から、お爺さんに預けていた黒い柴犬の愛犬クロが私を見つけると勢いよく飛び出して来て、嬉しくて尻尾を強く振りながら、私の足元に飛び付き絡み付いて来る。
私はせめてものお礼にとお爺さんとお婆さんを昼食に誘ってご馳走するつもりだった。お爺さんの家に入ると、お婆さんが退院祝いに赤飯を焚いて待っていてくれたのには、本当に驚いてしまった。
すでに両親と兄弟とも他界して、独り身の私は、本当に有難く思って、感謝の気持ちで胸が重く熱くなった。後悔って何だろうか?大切なものを失い、気が付いた時にはもう遅い、心の漂流だ。
いつものように掃除や草むしりをする。お爺さんと一緒に食事をしたら、洗い物をしてくれる。先に私が洗おうとすると「わしが後でするから」と拒否する。
お爺さんが、私の家に泊まった朝は決まって、ホットコーヒーと4ツ切りの厚い食パンにマーガリンを塗り、砂糖を少しまぶしてからトースターで焼いて食べる。
私は、痛み止めの薬のせいか?胃の調子があまり良くないので、朝食はコーヒー牛乳だけしか飲めない。
お爺さんが、勿体ないからとヨーグルトの蓋をきれいに嘗めている。私の母もそうだった。
「贅沢は敵」という戦時や戦後の食糧難を経験し、昭和の貧しい時代に食べ物を大事にしていた意識からだろうと、そんな風に思いながら微笑ましく食事の時間を過ごしていた。
今年で戦後75年を迎えるが、戦争の体験者は90歳以上の高齢者だから皆寿命が来て、年々少なくなる一方だ。終戦の年、お爺さんはまだ13歳だった。長野の田舎の村でも戦争による食糧難だったに違いないと思う。
今、ここにお爺さんの話声はなく、日常生活でお爺さんが発する音や空気が感じられない。ただ空白の時が佇んでいるだけ……。
お爺さんと一緒に食べた食事の味は、孤食では味わえず、何を食べても全然美味しくない。だから、炊飯器でご飯を炊くこともなくなった。亡くなった昔の職人さんの農家から、お爺さんが購入して持って来てくれた新米が残り少なくなってもそのままにしてある。食事をしながら会話を楽しみ、気楽に心を繋げられる大切な人を無くした損失はとても大きい。
二人で過ごした何気ない楽しいひと時が、走馬灯のように次々と頭の中を駆け巡る。
「お願いだからタバコをやめて」と、私が言うと、ゴホン、ゴホン、ゴホンと咳が出て来る。
何も咳までしてタバコを吸わなくてもいいと思うが、お爺さんはお酒を飲まないので、唯一の楽しみであるタバコは、何度か禁煙を試みてもすぐには止められそうもないようだ。
タバコは依存性があり、身体に良くないからできれば止めて欲しいと思う。
「わしは大丈夫、この年まで病気ひとつしたことがないから、まだ死ぬことはない」と、お爺さんはいつも明るく笑い飛ばしていた……。
「タバコを吸うと鼻毛が伸びるよ」と、いつも私がからかう。
お爺さんは、いつも台所にあるテーブルへ向かい、換気扇を回してから、静かに椅子へ腰かけて、うまそうにタバコを燻らす……。
「俺のあん娘は たばこが好きで いつも プカ プカ プカ〜」
『プカ プカ』俳優、原田芳雄が歌う歌詞が浮かんで来るので、つい口ずさむ。私にとって、歌はいつも人生の調味料となる。
「体に悪いからよしなっていっても いつも プカ プカ プカ〜」
お願いだから、健康に悪いタバコの回数を少し減らして!と思う。
「遠い空から降ってくるって言う 倖せって
[3]次へ
ページ移動[1 2 3 4]
[7]TOP [9]目次
[0]投票 [*]感想
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.35b