「レイクエム1」 Dシャボン玉飛んだ
『シャボン玉飛んだ』
「父はあまり人の言うことを聞かず、ワンマンだった」と、敏子さんから聞かされた。
敏子さんの言葉の間から頑固な父親と精神的な距離を置くような感情が匂う。詳しくは知らないが、敏子さんは結婚して娘をひとり授かったが、夫が精神的な病に掛かってしまい離婚したという。何か?複雑な事情があるらしいが、お爺さんの「死」に対しては、あまり悲しみの心情が汲み取れなかった。
若い時、頑固なお爺さんは、自分のしたいことを優先して、お婆さんの要望をあまり受け入れなかったらしい。またお婆さんも性格上控え目で、自分の要求を押し通すこともあまりしなかったようだ。良く言えば古風な大和撫子だと、私もそう思っていた。
父親は家族を養う存在で、仕事に忙殺される。ひと昔前はイクメン(育児する男性)という言葉もなく、育児の担当、義務から離れていた父親という存在が普通だった。
私の父親にも自分で経営する鉄工所で、朝から晩まで、油まみれ埃まみれになって真面目に働き、無駄口を一切たたかない孤独で寡黙な男のイメージがある。
私が高校生の時だった。
「あんなに酷い嫁を貰わなければ良かったのに」と、嫁と姑のぎくしゃくした関係に疲れた母が父を攻めた時、珍しく酔っていた父が激怒し、火の入った火鉢を投げつけたことがある。
父にして見ればとても良い縁談だと思って、戦友、岡村太助の娘、兼子を長男、昭一の嫁に貰った結果、嫁と姑間の不仲による家庭不和をもたらすとは思いもしなかった。
兼子が嫁に来た当初は猫を被っていたが、次第に自己中心的な荒い気性がばれてしまい、性格的に大人しい昭一を尻に敷き、昭一が脳梗塞で倒れた後は、身体の不自由な昭一を影で虐待に近い扱いをした。だから、嫁と姑間の間にも亀裂が生じて喧嘩が頻繁に起きたのだ。
父は母からたびたび責められるストレスをずっと我慢して来たが、酒に酔っていたせいもあるがついに耐えられなくなり、感情を抑えきれずにぶち切れてしまったのだ。
私は母を庇うと同時に、そんな父の激しい行動を見て驚き、火鉢の灰で真っ白く染まった部屋で立ち尽くしている父の姿に男の切ない哀愁、哀れさ惨めさを感じてしまったのだ。
男は仕事が忙し過ぎると、夫婦二人で子育てする観念が少なくなる。すると子供の愛情は、必然的に母親へと流れてしまう傾向がある。父親とは、男とは寂しい存在かも知れない。
お爺さんの家庭もいざとなったら、お婆さん似の子供達は、お婆さんの味方をするのか?お爺さんはもう年を取って性格的に丸くなり、みんなに優しかったから、そんなはずはないと思いたい。でも、お爺さんも愛情表現にはかなり不器用な面があったのは確かだ。
衝撃だったコメデアン、志村けんさんの死去。連日のテレビ、新聞報道では、新型コロナウイルス感染者や死者の数が増え続け、まだまだ新型コロナ終息の気配が見えない。
コロナ渦をどう生きるか?新型コロナウイルスと共存、共生する。「新たな日常生活」を始めることが果たして可能だろうか?新型コロナウイルスの時代を賢く生きる。後悔しない人生を送るにはどうすれば良いのだろうか?
もう「普通の日常」は訪れないかも知れない。パソコンもスマホも持たず、スマホ携帯電話の操作も満足にできない年寄りが多い。そんな彼等は、時代の早い流れにどう対処すればいいというのか?時代の潮流に翻弄されて、現実という川の中州にただ取り残されてしまうのだろうか?
力道山が空手チョップで外人を倒すと言う戦争敗戦の意識を拭い去る如く、プロレスに日本中が熱狂した象徴的な昭和。高度経済成長期の時代は去り、平成から、さらに令和へと称号が変わり、新しい時代の波に高齢者は流されて溺れてしまうのか?
これからはコロナうつに蝕まれても気が付かない、年寄りの孤独死が増えていくだろう。
一生懸命働いて、昭和を支えてきた年寄りが。真っ先に犠牲になる。新型コロナウイルスによって社会情勢が変動し、昭和という時代の生き残りたちが消滅して逝く。
老後の生活の余生を幸せに満喫できればいいのだが、人間は所詮、年老いて孤独で死んで逝くのが運命なのだ。
営業停止勧告を無視したパチンコ店に人が殺到する。また営業が自粛されていない他県のパチンコ店に我慢できずに遠くまで出向く。彼等は自己の小さな欲望に勝てないのだ。
新型コロナウイルス感染の恐怖からか?営業自粛しない店を攻撃したりする、自称「自粛警察」も出て来ているという。根本的な物事の正確な判断ができないで、ストレスから他人を攻撃する人たちだ。自粛疲れで致し方ない面もあるが、ここでこそみんなが我慢しないと、新型コロナウイルスは感染した人々の心をも傷つけてしまうだろう。
新型コロナウイルスの影響で、家族が自宅にいる時間が多くなり、自殺者数が減っているという皮肉な現象がある。しかし、これから先、経済の景況悪化で自殺者が急増するだろう。直接的なリスクより、間接的なリスクの方に危険が多く潜んでいるようだ。
家庭という狭い空間にいつも家族がいるストレスから、夫婦間や親子間に感情的な亀裂が生じて、ドメスティックバイオレンスも起きているようだ。生と死が行き交う日々の中で、心身不調をきたして鬱になる。これからは自分らしい生き方が大切になる。失われるものに対して安息を、慈しみの心を忘れてはならないと思う。
最近、カミユの「ペスト」という小説が、コロナ渦の影響で売れているという。ペストによって街の景色も一変し、時代が変わってしまう。新型コロナ危機によって日常風景が変わり、現実に対する意識変化が、人生観をも変えてしまう恐れに共通点がある。
晴耕雨読、世間のわずらわしさから離れて、しばらく心穏やかに暮らしたい。家にいる憂鬱な時間を読書して過ごしている。現実から逃避したい時、読書は生との関わりや生き方を示唆してくれる。若い時に文学に縋り付き生きて来たように、文学の力に頼りたいから読みたい本を次々と購入する。読みたいと思っても「谷崎潤一郎賞」を受けた作家、黒井千次の作品が絶版になっていたりする。私は日本の作家の中では谷崎潤一郎が一番好きだ。「谷崎潤一郎賞」は人間が描かれている小説でないと貰えない賞である。
手に入りにくい本は古本屋ではなく、インターネットのアマゾンで探して購入する時代なのだ。活字離れ、本が売れない時代、不況にあえぐ出版社は、若手の人気作家の本が売れるから、例え良い書物でも売れなければ絶版になるのも仕方がないご時世なのだろう。
ある朝、目をさますと自分が巨大な毒虫に変わっていたという、カフカの「変身」も、ごくありふれた日常茶飯事からの突然変化という視点からか?コロナ渦という過去になかった異常な状況において見直されているという。日常の小さな出来事において、人間存在から生じる不条理、理不尽を心理的に他の人に分かって貰おうとしても無理がある。
新型コロナウイルスの影響で、映画館もずっと閉鎖されてしまっている。ミニシアターも潰れそうで、大きな悲鳴をあげている。
「激怒」という映画のビデオを観た。政府による細菌感染のために息子が殺され、ジョージーCスコット演じる父親も感染してしまう。余命幾ばくもない父が、細菌研究所を爆破して復讐する。
細菌で大量の羊が死に大自然が侵されるのはいたたまれない。何も怒りにまかせて罪もない警備員まで射殺する必要はないと思うが、新型コロナウイルスが大流行し、クラスターが発生している時だけに感慨深いストーリーだった。
新型コロナウイルスによって病院では、従来の外来患者が減少し、経営危機に見舞われる。介護施設で、高齢者の集団感染、クラスターが発生する。その結果、医療崩壊、介護崩壊という緊急事態に直面している。コロナ渦の事態がある程度収まっても、第2波の新型コロナウイルス感染は人ごとではない。
多くの人々が密集する都会で暮らすことの難しさ、問題点が浮き彫りになる。新型コロナウイルスの影響を受けて、家賃を払えない人が増加しているという。
新聞記事によると、現代社会は高齢化による独り暮らしの老人が増加している。女性が、社会的に進出する機会が増え、働く女性も多くなった。そのせいか結婚しない女性が増える。また、若い男性のセックスレスが進行するから、少子化も当然のことだと思う。
昨年の出生率は1,36%で、4年連続して減少。人口自然減は51万人と過去最大の減少幅となった。私にも甥と姪が5人いるが、3人が未だに独身で結婚していない。なかなか離婚できなかった昔と違い、現代は結婚しても離婚する人が多く、すぐには再婚しない。経済的に自立できる女性がシングルマザーになって子供を育てる。経済的に子育てが難しい社会では、核家族が増える傾向は仕方がないようだ。
田舎から都会に若い人が流出し、高齢化で人口減少するから空き家が多くなる。後継者と人手不足にあえいで、国が外国人材に労働力を求めるようになる。
現在、農業に携わるのは肉体的にも経済的にも大変な仕事だ。農家に嫁の来てもなく、貧しい東南アジア出身の女性を嫁に貰う事例が増える。昭和の時代には考えられないことだ。
「嫁に来ないか〜 ぼくのところへ」と、新沼謙治の演歌が聞こえてきそうだ。
「嫁に来ないか〜 からだ からだひとつで〜」
貧しい国から日本に来た人々はよく働いて、お金を母国の家族に送金している人も多い。
最近、新型コロナウイルスで窮地に陥った農家は、旅館や飲食店などで、職を失ったコロナ休業者に助けを求める傾向もあるようだ。
田舎で人が住まなくなり、廃家寸前の空き家や、休校した学校などをリノベーションする。ここ30年で2倍に増えた空き家が、公衆衛生や治安、景観などに悪影響を及ぼしている。空き家対策特別措置法に基づき、解体される空き家も増加している。
簡単にはできないが、数多い都会の空き家を一時的に、新型コロナウイルスによって職を失い、常宿にしていたインタネットカフェから追い出された若者などの住む所が無い人に無料で提供して有効活用できないものだろうか?
お爺さんが死んでしまって、空き家のような侘しい私の心もできればリノベーションしたいと願う。
新型コロナウイルスのために職を失い、金銭的理由で自殺する失業者も増加するだろう。お金だけに依存することなく、コロナ渦以前のように、人とのつながりを大切にしたいが、お金がなければ生活が成り立たないのが、新型コロナウイルスによる「新たな日常生活」の現実だ。
コロナ渦は、人々が集積する都市のあり方に多大な影響を与えた。情報技術の発展が人々
の生活を変える。テレワークによって「新しい生活様式」働き方の大変革が迫られる。
地域を見直し活性化させる。自然美あふれる田舎、自然環境に恵まれた地方に住みたい。そんな価値観の人や企業が増えているという。これからは田舎にリターンする人がもっと増えて来るだろう。
千葉県の九十九里浜で大量のハマグリが、波打ち際に打ち寄せられ、人々が採収している映像がテレビに流れる。
3・11東日本大震災、10年前のあの巨大地震による地殻変動の影響か?新たな大地震の前触れか?ボラの群れが河口から遡上したり、イワシの大群が浜辺の波際に打ち寄せられたりする事例が予測される。
昭和36年2月2日、真冬の豪雪時に震度6の長岡地震が発生した。地震が起きた午前3時半頃、弱冠9歳の私は、ランプの灯りを持った家族と一緒に極寒の外に飛び出した。
その日は、12月下旬に発達した寒気による猛吹雪となり、1日で125pという積雪を記録し、積雪が約2mもあり、玄関の戸が開かず、2階から出入りしたほどの積雪だった。
震源地は実家の間近で、地下20qと浅かく、軟弱な地質だったため、死者5人、家屋の全壊257棟、半壊493棟という甚大な被害を出した。
昭和39年6月16日、私が小学6年生の時、午後1時1分にマグニチュード7,5の新潟大地震が起きた。新潟では地盤液状化現象により、4階建て県営アパートが横倒しになり、昭和大橋の橋げたが落下した。3〜4mの津波も発生し、また火災も発生して甚大な被害をもたらした。
その頃、日本はちょうど高度成長期に当たり、全国の沿岸部で埋め立て工事が盛んに行われており、新潟大地震は、その後の都市づくりに大きな影響を与えたという。
私はお昼休みに外のグランドで遊んでいて、大地が大きく激しく揺れた。水溜まりの水が左右にバシャ、バシャと動くほどの激しい揺れでとても立ってはいられなかった。
地震後、小学校は早退になり、私は黄色い横断歩道旗を持って低学年の生徒を引率して家に帰った。家ではあちらこちらの壁がひび割れして、家具などが散乱していて後片付けが、大変だった。兄の昭一はちょうど便所に入っていて、驚いてケツもろくに拭かず飛び出たと言っていた。
最近、茨城県や千葉県で、携帯電話に緊急地震速報のメールがよく入る。関東地方や全国的にもかなり大きな地震が頻繁に起きている。もし、ここで首都圏の直下型地震が起きたら、莫大な被害が出るだろう。フロンによるオゾン層の破壊、温暖化による世界的気候変動の影響からだ。日本では集中豪雨による被害も続出している。
新型コロナウイルス感染は、終息しないどころか急速に増加している。今、直下型地震が起きたらと思うとゾッとする。
「備えあれば患いなし」と言っても、患いばかりで一体、何をすれば良いのか?せめて枕元に懐中電灯を置いておくことくらいしか思い付かない……。
1973年に映画化された小松左京の「日本沈没」を小説の世界ばかりだと言っていられない感じがする。最近、原作をアレンジし、現代の家族の視点から破局を描きリメイクされた「日本沈没、2020」のアニメが、ネット配信されたのも偶然ではないのではないか?
また小松左京の小説「復活の日」も、細菌兵器の研究所で開発された猛毒の新型ウイルスが爆発的な勢いで世界各地を襲い、南極に1万人たらずの人々を残して人類がなすすべもなく滅亡するというストーリー。
現代の新型コロナウイルスの恐怖とあまりにも類似点が多く、新型コロナウイルス危機の予言書として注目を集めている。
大正12年に起きた関東大震災以後、都心部の住民が近郊に移り住んだように、大都市の地方への分散化が必要になると思う。農業、林業など、自然と関わりを持つ田舎暮らし。
里山自然主義の実践が望まれる。過疎化が進み、人口減少が著しい地方に今こそ、眼を向ける時だろう。
新型コロナウイルス感染で突然、多くの人たちが亡くなった。しかし、死者数は東日本大震災と比較すればまだ数少ない。だが、全国的な経済的被害、新型コロナウイルスによる人々の精神的なダメージは比較できない位大きいだろう。震災とコロナ渦は全く別物だが、いずれにしても自然の驚異に直面した時、人間性の真意が問われている。
新型コロナウイルスで大切な人を失い、悲しい思いをした人もいるだろう。だが残された人は、悲しみを引きずって生きていくしか仕方がない。辛くても「新しい日常」を始めなければならない。阪神・淡路大震災や東日本大震災の時と同じように……。
インターネット、オンライン化で、新しい生活環境が始まる。生命と経済を重視しながら
生きていく。生命と経済「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということがないように!
デジタル化の進展は、感染症の予防や健康づくりに役立つが、新型コロナウイルスに効くワクチンが開発されるまでは気が抜けそうもない。
新型コロナウイルスに対応して他人との接触をなるべく避け、ソーシャルディスタンス(社会的距離)をとって生きていく。今では全国的にそれらが浸透して、マスクを装着していない人は少ない。
家族や友人との会話は絶対に必要なのに、マスクやフェースシールドが会話、コミュニケーションを必要以上に拒否してしまっている面もあるから、どうしても人間関係が希薄になってしまう。心を折らず再生へと舵を切る。アフターコロナで、何が終わり、ウィズコロナで、何が始まるのだろうか……。
5月25日、政府は、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言を全面解除した。
現在、世界の感染者数550万人、死者数は34万6000人を超えている。そして、日本の感染者数は1万7321人、死者数は852人である。
日本は強制的な外出規制をせず、1ケ月半で新型コロナウイルスの流行を収束させることができた。この日本モデルは世界的に好評価を得ているという。
その原因の一端は、島国日本と他国との文化的な差異。日本人の社会規範、独自な生活文化と日本人の不文律に快く従う精神性が強く関わっているようだ。
蒸し暑くジメジメした梅雨を思わせる憂鬱な季節だ。普通のインフルエンザウイルスは、高温多湿に弱いという。果たして新型コロナウイルスは、それが弱点になるのだろうか?と考え、曇った空を暑くて脂汗が滲んだ顔で見上げる。
庭木や盆栽、草花に水をやる。金魚とメダカにエサをやる。植物や生き物は世話をしないと枯れたり、死んだりしてしまう。私の心にも水をやらないと死んでしまいそうだ……。
お爺さんが挿し木をして増えた庭のアジサイの影で、梅雨を待つ雨蛙がゲッ、ゲッ、ゲッ、ゲッと、うるさいくらいにしきりに鳴き続けている。
自然の捉え方、自然との距離を上手く取って生きる。日常のほんの小さな出来事が、心を癒すのだ。日々、自然の懐に分け入って心と身体で思案する。
お爺さんが無くなってから、幸福感がすべて失われてしまった。残された者の悲しみは、なかなか癒されそうもない。でもまだ、私は生かされている……。
何が幸せか?心の赴くまま平穏に生きていけることが一番の幸せだと思う。
「シャボン玉飛んだ。屋根まで飛んだ。屋根まで飛んで、壊れて落ちた」
女優・岡江久美子さんが、新型コロナウイルス感染で亡くなり、夫の大和田獏さんが、妻を偲んでいった言葉だ。
「ホー、ホケッキョー」
どこかの木の上でウグイスが鳴いている。もう晩春の兆し、数々の草花が咲き誇り、木々もすっかり芽吹いた新緑の季節だ。一年で一番活気のある美しい季節のはずなのに、どこか?何かが去年とは違うような気がする。
「風、風吹くな、シャボン玉飛ばそう」
死ぬまで心の赴くまま、生きていければいいが、私の心の大きなシャボン玉は、飛ぶこともなく、今も弾けたままなのだ。
「父はあまり人の言うことを聞かず、ワンマンだった」と、敏子さんから聞かされた。
敏子さんの言葉の間から頑固な父親と精神的な距離を置くような感情が匂う。詳しくは知らないが、敏子さんは結婚して娘をひとり授かったが、夫が精神的な病に掛かってしまい離婚したという。何か?複雑な事情があるらしいが、お爺さんの「死」に対しては、あまり悲しみの心情が汲み取れなかった。
若い時、頑固なお爺さんは、自分のしたいことを優先して、お婆さんの要望をあまり受け入れなかったらしい。またお婆さんも性格上控え目で、自分の要求を押し通すこともあまりしなかったようだ。良く言えば古風な大和撫子だと、私もそう思っていた。
父親は家族を養う存在で、仕事に忙殺される。ひと昔前はイクメン(育児する男性)という言葉もなく、育児の担当、義務から離れていた父親という存在が普通だった。
私の父親にも自分で経営する鉄工所で、朝から晩まで、油まみれ埃まみれになって真面目に働き、無駄口を一切たたかない孤独で寡黙な男のイメージがある。
私が高校生の時だった。
「あんなに酷い嫁を貰わなければ良かったのに」と、嫁と姑のぎくしゃくした関係に疲れた母が父を攻めた時、珍しく酔っていた父が激怒し、火の入った火鉢を投げつけたことがある。
父にして見ればとても良い縁談だと思って、戦友、岡村太助の娘、兼子を長男、昭一の嫁に貰った結果、嫁と姑間の不仲による家庭不和をもたらすとは思いもしなかった。
兼子が嫁に来た当初は猫を被っていたが、次第に自己中心的な荒い気性がばれてしまい、性格的に大人しい昭一を尻に敷き、昭一が脳梗塞で倒れた後は、身体の不自由な昭一を影で虐待に近い扱いをした。だから、嫁と姑間の間にも亀裂が生じて喧嘩が頻繁に起きたのだ。
父は母からたびたび責められるストレスをずっと我慢して来たが、酒に酔っていたせいもあるがついに耐えられなくなり、感情を抑えきれずにぶち切れてしまったのだ。
私は母を庇うと同時に、そんな父の激しい行動を見て驚き、火鉢の灰で真っ白く染まった部屋で立ち尽くしている父の姿に男の切ない哀愁、哀れさ惨めさを感じてしまったのだ。
男は仕事が忙し過ぎると、夫婦二人で子育てする観念が少なくなる。すると子供の愛情は、必然的に母親へと流れてしまう傾向がある。父親とは、男とは寂しい存在かも知れない。
お爺さんの家庭もいざとなったら、お婆さん似の子供達は、お婆さんの味方をするのか?お爺さんはもう年を取って性格的に丸くなり、みんなに優しかったから、そんなはずはないと思いたい。でも、お爺さんも愛情表現にはかなり不器用な面があったのは確かだ。
衝撃だったコメデアン、志村けんさんの死去。連日のテレビ、新聞報道では、新型コロナウイルス感染者や死者の数が増え続け、まだまだ新型コロナ終息の気配が見えない。
コロナ渦をどう生きるか?新型コロナウイルスと共存、共生する。「新たな日常生活」を始めることが果たして可能だろうか?新型コロナウイルスの時代を賢く生きる。後悔しない人生を送るにはどうすれば良いのだろうか?
もう「普通の日常」は訪れないかも知れない。パソコンもスマホも持たず、スマホ携帯電話の操作も満足にできない年寄りが多い。そんな彼等は、時代の早い流れにどう対処すればいいというのか?時代の潮流に翻弄されて、現実という川の中州にただ取り残されてしまうのだろうか?
力道山が空手チョップで外人を倒すと言う戦争敗戦の意識を拭い去る如く、プロレスに日本中が熱狂した象徴的な昭和。高度経済成長期の時代は去り、平成から、さらに令和へと称号が変わり、新しい時代の波に高齢者は流されて溺れてしまうのか?
これからはコロナうつに蝕まれても気が付かない、年寄りの孤独死が増えていくだろう。
一生懸命働いて、昭和を支えてきた年寄りが。真っ先に犠牲になる。新型コロナウイルスによって社会情勢が変動し、昭和という時代の生き残りたちが消滅して逝く。
老後の生活の余生を幸せに満喫できればいいのだが、人間は所詮、年老いて孤独で死んで逝くのが運命なのだ。
営業停止勧告を無視したパチンコ店に人が殺到する。また営業が自粛されていない他県のパチンコ店に我慢できずに遠くまで出向く。彼等は自己の小さな欲望に勝てないのだ。
新型コロナウイルス感染の恐怖からか?営業自粛しない店を攻撃したりする、自称「自粛警察」も出て来ているという。根本的な物事の正確な判断ができないで、ストレスから他人を攻撃する人たちだ。自粛疲れで致し方ない面もあるが、ここでこそみんなが我慢しないと、新型コロナウイルスは感染した人々の心をも傷つけてしまうだろう。
新型コロナウイルスの影響で、家族が自宅にいる時間が多くなり、自殺者数が減っているという皮肉な現象がある。しかし、これから先、経済の景況悪化で自殺者が急増するだろう。直接的なリスクより、間接的なリスクの方に危険が多く潜んでいるようだ。
家庭という狭い空間にいつも家族がいるストレスから、夫婦間や親子間に感情的な亀裂が生じて、ドメスティックバイオレンスも起きているようだ。生と死が行き交う日々の中で、心身不調をきたして鬱になる。これからは自分らしい生き方が大切になる。失われるものに対して安息を、慈しみの心を忘れてはならないと思う。
最近、カミユの「ペスト」という小説が、コロナ渦の影響で売れているという。ペストによって街の景色も一変し、時代が変わってしまう。新型コロナ危機によって日常風景が変わり、現実に対する意識変化が、人生観をも変えてしまう恐れに共通点がある。
晴耕雨読、世間のわずらわしさから離れて、しばらく心穏やかに暮らしたい。家にいる憂鬱な時間を読書して過ごしている。現実から逃避したい時、読書は生との関わりや生き方を示唆してくれる。若い時に文学に縋り付き生きて来たように、文学の力に頼りたいから読みたい本を次々と購入する。読みたいと思っても「谷崎潤一郎賞」を受けた作家、黒井千次の作品が絶版になっていたりする。私は日本の作家の中では谷崎潤一郎が一番好きだ。「谷崎潤一郎賞」は人間が描かれている小説でないと貰えない賞である。
手に入りにくい本は古本屋ではなく、インターネットのアマゾンで探して購入する時代なのだ。活字離れ、本が売れない時代、不況にあえぐ出版社は、若手の人気作家の本が売れるから、例え良い書物でも売れなければ絶版になるのも仕方がないご時世なのだろう。
ある朝、目をさますと自分が巨大な毒虫に変わっていたという、カフカの「変身」も、ごくありふれた日常茶飯事からの突然変化という視点からか?コロナ渦という過去になかった異常な状況において見直されているという。日常の小さな出来事において、人間存在から生じる不条理、理不尽を心理的に他の人に分かって貰おうとしても無理がある。
新型コロナウイルスの影響で、映画館もずっと閉鎖されてしまっている。ミニシアターも潰れそうで、大きな悲鳴をあげている。
「激怒」という映画のビデオを観た。政府による細菌感染のために息子が殺され、ジョージーCスコット演じる父親も感染してしまう。余命幾ばくもない父が、細菌研究所を爆破して復讐する。
細菌で大量の羊が死に大自然が侵されるのはいたたまれない。何も怒りにまかせて罪もない警備員まで射殺する必要はないと思うが、新型コロナウイルスが大流行し、クラスターが発生している時だけに感慨深いストーリーだった。
新型コロナウイルスによって病院では、従来の外来患者が減少し、経営危機に見舞われる。介護施設で、高齢者の集団感染、クラスターが発生する。その結果、医療崩壊、介護崩壊という緊急事態に直面している。コロナ渦の事態がある程度収まっても、第2波の新型コロナウイルス感染は人ごとではない。
多くの人々が密集する都会で暮らすことの難しさ、問題点が浮き彫りになる。新型コロナウイルスの影響を受けて、家賃を払えない人が増加しているという。
新聞記事によると、現代社会は高齢化による独り暮らしの老人が増加している。女性が、社会的に進出する機会が増え、働く女性も多くなった。そのせいか結婚しない女性が増える。また、若い男性のセックスレスが進行するから、少子化も当然のことだと思う。
昨年の出生率は1,36%で、4年連続して減少。人口自然減は51万人と過去最大の減少幅となった。私にも甥と姪が5人いるが、3人が未だに独身で結婚していない。なかなか離婚できなかった昔と違い、現代は結婚しても離婚する人が多く、すぐには再婚しない。経済的に自立できる女性がシングルマザーになって子供を育てる。経済的に子育てが難しい社会では、核家族が増える傾向は仕方がないようだ。
田舎から都会に若い人が流出し、高齢化で人口減少するから空き家が多くなる。後継者と人手不足にあえいで、国が外国人材に労働力を求めるようになる。
現在、農業に携わるのは肉体的にも経済的にも大変な仕事だ。農家に嫁の来てもなく、貧しい東南アジア出身の女性を嫁に貰う事例が増える。昭和の時代には考えられないことだ。
「嫁に来ないか〜 ぼくのところへ」と、新沼謙治の演歌が聞こえてきそうだ。
「嫁に来ないか〜 からだ からだひとつで〜」
貧しい国から日本に来た人々はよく働いて、お金を母国の家族に送金している人も多い。
最近、新型コロナウイルスで窮地に陥った農家は、旅館や飲食店などで、職を失ったコロナ休業者に助けを求める傾向もあるようだ。
田舎で人が住まなくなり、廃家寸前の空き家や、休校した学校などをリノベーションする。ここ30年で2倍に増えた空き家が、公衆衛生や治安、景観などに悪影響を及ぼしている。空き家対策特別措置法に基づき、解体される空き家も増加している。
簡単にはできないが、数多い都会の空き家を一時的に、新型コロナウイルスによって職を失い、常宿にしていたインタネットカフェから追い出された若者などの住む所が無い人に無料で提供して有効活用できないものだろうか?
お爺さんが死んでしまって、空き家のような侘しい私の心もできればリノベーションしたいと願う。
新型コロナウイルスのために職を失い、金銭的理由で自殺する失業者も増加するだろう。お金だけに依存することなく、コロナ渦以前のように、人とのつながりを大切にしたいが、お金がなければ生活が成り立たないのが、新型コロナウイルスによる「新たな日常生活」の現実だ。
コロナ渦は、人々が集積する都市のあり方に多大な影響を与えた。情報技術の発展が人々
の生活を変える。テレワークによって「新しい生活様式」働き方の大変革が迫られる。
地域を見直し活性化させる。自然美あふれる田舎、自然環境に恵まれた地方に住みたい。そんな価値観の人や企業が増えているという。これからは田舎にリターンする人がもっと増えて来るだろう。
千葉県の九十九里浜で大量のハマグリが、波打ち際に打ち寄せられ、人々が採収している映像がテレビに流れる。
3・11東日本大震災、10年前のあの巨大地震による地殻変動の影響か?新たな大地震の前触れか?ボラの群れが河口から遡上したり、イワシの大群が浜辺の波際に打ち寄せられたりする事例が予測される。
昭和36年2月2日、真冬の豪雪時に震度6の長岡地震が発生した。地震が起きた午前3時半頃、弱冠9歳の私は、ランプの灯りを持った家族と一緒に極寒の外に飛び出した。
その日は、12月下旬に発達した寒気による猛吹雪となり、1日で125pという積雪を記録し、積雪が約2mもあり、玄関の戸が開かず、2階から出入りしたほどの積雪だった。
震源地は実家の間近で、地下20qと浅かく、軟弱な地質だったため、死者5人、家屋の全壊257棟、半壊493棟という甚大な被害を出した。
昭和39年6月16日、私が小学6年生の時、午後1時1分にマグニチュード7,5の新潟大地震が起きた。新潟では地盤液状化現象により、4階建て県営アパートが横倒しになり、昭和大橋の橋げたが落下した。3〜4mの津波も発生し、また火災も発生して甚大な被害をもたらした。
その頃、日本はちょうど高度成長期に当たり、全国の沿岸部で埋め立て工事が盛んに行われており、新潟大地震は、その後の都市づくりに大きな影響を与えたという。
私はお昼休みに外のグランドで遊んでいて、大地が大きく激しく揺れた。水溜まりの水が左右にバシャ、バシャと動くほどの激しい揺れでとても立ってはいられなかった。
地震後、小学校は早退になり、私は黄色い横断歩道旗を持って低学年の生徒を引率して家に帰った。家ではあちらこちらの壁がひび割れして、家具などが散乱していて後片付けが、大変だった。兄の昭一はちょうど便所に入っていて、驚いてケツもろくに拭かず飛び出たと言っていた。
最近、茨城県や千葉県で、携帯電話に緊急地震速報のメールがよく入る。関東地方や全国的にもかなり大きな地震が頻繁に起きている。もし、ここで首都圏の直下型地震が起きたら、莫大な被害が出るだろう。フロンによるオゾン層の破壊、温暖化による世界的気候変動の影響からだ。日本では集中豪雨による被害も続出している。
新型コロナウイルス感染は、終息しないどころか急速に増加している。今、直下型地震が起きたらと思うとゾッとする。
「備えあれば患いなし」と言っても、患いばかりで一体、何をすれば良いのか?せめて枕元に懐中電灯を置いておくことくらいしか思い付かない……。
1973年に映画化された小松左京の「日本沈没」を小説の世界ばかりだと言っていられない感じがする。最近、原作をアレンジし、現代の家族の視点から破局を描きリメイクされた「日本沈没、2020」のアニメが、ネット配信されたのも偶然ではないのではないか?
また小松左京の小説「復活の日」も、細菌兵器の研究所で開発された猛毒の新型ウイルスが爆発的な勢いで世界各地を襲い、南極に1万人たらずの人々を残して人類がなすすべもなく滅亡するというストーリー。
現代の新型コロナウイルスの恐怖とあまりにも類似点が多く、新型コロナウイルス危機の予言書として注目を集めている。
大正12年に起きた関東大震災以後、都心部の住民が近郊に移り住んだように、大都市の地方への分散化が必要になると思う。農業、林業など、自然と関わりを持つ田舎暮らし。
里山自然主義の実践が望まれる。過疎化が進み、人口減少が著しい地方に今こそ、眼を向ける時だろう。
新型コロナウイルス感染で突然、多くの人たちが亡くなった。しかし、死者数は東日本大震災と比較すればまだ数少ない。だが、全国的な経済的被害、新型コロナウイルスによる人々の精神的なダメージは比較できない位大きいだろう。震災とコロナ渦は全く別物だが、いずれにしても自然の驚異に直面した時、人間性の真意が問われている。
新型コロナウイルスで大切な人を失い、悲しい思いをした人もいるだろう。だが残された人は、悲しみを引きずって生きていくしか仕方がない。辛くても「新しい日常」を始めなければならない。阪神・淡路大震災や東日本大震災の時と同じように……。
インターネット、オンライン化で、新しい生活環境が始まる。生命と経済を重視しながら
生きていく。生命と経済「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということがないように!
デジタル化の進展は、感染症の予防や健康づくりに役立つが、新型コロナウイルスに効くワクチンが開発されるまでは気が抜けそうもない。
新型コロナウイルスに対応して他人との接触をなるべく避け、ソーシャルディスタンス(社会的距離)をとって生きていく。今では全国的にそれらが浸透して、マスクを装着していない人は少ない。
家族や友人との会話は絶対に必要なのに、マスクやフェースシールドが会話、コミュニケーションを必要以上に拒否してしまっている面もあるから、どうしても人間関係が希薄になってしまう。心を折らず再生へと舵を切る。アフターコロナで、何が終わり、ウィズコロナで、何が始まるのだろうか……。
5月25日、政府は、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言を全面解除した。
現在、世界の感染者数550万人、死者数は34万6000人を超えている。そして、日本の感染者数は1万7321人、死者数は852人である。
日本は強制的な外出規制をせず、1ケ月半で新型コロナウイルスの流行を収束させることができた。この日本モデルは世界的に好評価を得ているという。
その原因の一端は、島国日本と他国との文化的な差異。日本人の社会規範、独自な生活文化と日本人の不文律に快く従う精神性が強く関わっているようだ。
蒸し暑くジメジメした梅雨を思わせる憂鬱な季節だ。普通のインフルエンザウイルスは、高温多湿に弱いという。果たして新型コロナウイルスは、それが弱点になるのだろうか?と考え、曇った空を暑くて脂汗が滲んだ顔で見上げる。
庭木や盆栽、草花に水をやる。金魚とメダカにエサをやる。植物や生き物は世話をしないと枯れたり、死んだりしてしまう。私の心にも水をやらないと死んでしまいそうだ……。
お爺さんが挿し木をして増えた庭のアジサイの影で、梅雨を待つ雨蛙がゲッ、ゲッ、ゲッ、ゲッと、うるさいくらいにしきりに鳴き続けている。
自然の捉え方、自然との距離を上手く取って生きる。日常のほんの小さな出来事が、心を癒すのだ。日々、自然の懐に分け入って心と身体で思案する。
お爺さんが無くなってから、幸福感がすべて失われてしまった。残された者の悲しみは、なかなか癒されそうもない。でもまだ、私は生かされている……。
何が幸せか?心の赴くまま平穏に生きていけることが一番の幸せだと思う。
「シャボン玉飛んだ。屋根まで飛んだ。屋根まで飛んで、壊れて落ちた」
女優・岡江久美子さんが、新型コロナウイルス感染で亡くなり、夫の大和田獏さんが、妻を偲んでいった言葉だ。
「ホー、ホケッキョー」
どこかの木の上でウグイスが鳴いている。もう晩春の兆し、数々の草花が咲き誇り、木々もすっかり芽吹いた新緑の季節だ。一年で一番活気のある美しい季節のはずなのに、どこか?何かが去年とは違うような気がする。
「風、風吹くな、シャボン玉飛ばそう」
死ぬまで心の赴くまま、生きていければいいが、私の心の大きなシャボン玉は、飛ぶこともなく、今も弾けたままなのだ。
26/08/18 20:36更新 / 河志摩 運
戻る
次へ