連載小説
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「レイクエム1」 C老人愛
『老人愛』

村の年寄りは誰もがみんな私に優しく接してくれたので、それ以来、いつも年寄りに対しては親しみと敬意を抱き、温かい眼差しで老人たちの老いる姿を目にしてきた。
「老人愛」ともいうべき愛情をいつも抱いていた。
私は、グループホームや特別養護老人ホームでの介護職の経験もあるが、みんなが嫌がる年寄りの下の世話も少しも苦にならず、老人たちに常に恩返しのような接し方をして来た。残念ながら特別養護老人ホームでの介護職、激職で腰を酷く痛めてしまい退職したので、年寄りと接する機会から遠のいてしまった。
遠い昔に亡くなった村の年寄りたちの記憶は、自分が年齢を重ね高齢者に属した今でもはっきりと残っている。それがお爺さん、伊吹春吉との出逢い、その関係にも深く関わっていたような気がする。
人との出会いは偶然ではない。私が今まで出会った友人たち、その他、多くの人々を思い起こすと、自分から求めた出会いには必然性があり、振り返ると予め決められた運命のようにさえ感じてしまう。
過去に好きになった女性も数人いたが、若い時の失恋の経験もあって、結婚に踏み切れなかった。当時、男として所帯を持ち、子供を作ることが当り前と考えていた。しかし、若さゆえなのか?仕事にも生活にもまだ自信が持てないで、結局、上手くいかなかった。
家庭に拘束される不自由さ、束縛から逃れて自由を求めた結果、好きな女性たちとの結婚にも踏み切れずに自然と別れてしまった。
「年を取ってから独りで生きていくのは大変だから、早く嫁さんを貰え」と、よく家族や周りの人から言われたが、気が付けばいつの間にか自分も老いていた。今はただ過去の出来事すべてが懐かしく想い出されて来るだけだ。
結局、結果的にすべて縁がなく結婚しなかったことは、自由の代償としてひとつも悔いはないし、自由から得たものは数知れず多かった。ただ、息子の行動を信じてくれて、何一つ口を挟まなかった父、昭平と違い、長い間、愛する息子の結婚をひたすら望んで年老いた母、菊乃に孫の顔を見せてやれなかった後ろめたさだけは一生消えない。

お爺さん「伊吹春吉」との出逢いは5年前に盆栽市で知り合った。いつもニコニコとして人の良さそうなお爺さんに何故か?不思議と惹かれ、縁があって私の骨董市等での販売の仕事を手伝って貰らっている。
伊吹春吉は長野県出身、北アルプス麓の北安曇野、松川村の貧しい農家で育ち、6人兄弟の末っ子で、中学校を卒業してからすぐ東京に働きに出た。
東京に住む叔母さんの紹介で、墨田区の下町にある大工の棟梁の家に住み込み、見習い仕事から始めて丁稚奉公のように真面目に働いたという。
「生きていくためには手に職を付けて!」という母、伊吹春代の願いを苦労して叶えた。
春吉は、昭和7年生まれ、戦前、戦中、戦後にかけて「激動の昭和」という時代を生きて来た世代だ。
「けっして人様の迷惑になるようなことをしてはいけないよ」と言って、東京に上京する日、優しい母親が心配し、涙を流して、大糸線の小さな無人駅、「安曇追分」で春吉を見送ってくれたそうである。その言葉を守り、一生懸命働き努力して生きて来た。やがて大工の腕を磨いた春吉は、有限会社「伊吹工務店」を開業して、従業員を数人雇うまでになったという。
アメリカ人の友人のためアリゾナ州に日本家屋を建てたのが、お爺さんの自慢の種だった。その話をする時、お爺さんの横顔には、月日の流れが皺となって深く刻まれて優しさが滲んでいた。
「アメリカに行きたい。何度か訪れた友人たちと、もう一度会いたい」と、お爺さんはよく言っていた。
私は30年ほど前にアメリカの西海岸、ロサンゼルスとサンフランシスコに約3ケ月間、行ったことがある。アリゾナは行ったことがないので、足腰が動く間にぜひお爺さんと一緒に訪れて、お爺さんが建築した日本家屋をぜひ見たいと考えていたが、その夢は新型コロナウイルス感染の拡大によって残念ながら叶えられなかった。
「若い時は戦争で食料も不足して、散々苦労してきた」とお爺さんは言う。
戦後の貧困から高度経済成長期へ、時代の大きな移り変わりを経験したお爺さん。一緒に頑張ってくれた職人たちも高齢でみんな死んでしまって、自分独りになり、寂しがっていた。
「今は工務店も閉め、好きな畑仕事をのんびりとやれるから幸せだ」とも話していた。
「米寿まで生き伸びたのだから、いつ死んでもいいよ」
3月10日にお爺さんが88歳の誕生日を迎えた時、冗談のように笑いながら言っていた。
お爺さんの誕生祝いにセイコーの腕時計をプレゼントすると喜んでくれた。無くすといけないからと、大事にして普段は持ち歩かない。去年の誕生日には洒落た紳士用の帽子をプレゼントした。それをとても気に入って喜んでくれた。年の割にお洒落なお爺さんは、展覧会などに出掛ける時、必ずその帽子を被って行ってくれたのだった。

相変わらず空虚な巣ごもり生活が続いている。大都市の封鎖が続き、緊急事態宣言も解除されていない。これといった人生案内もなく、新たな生きがいが、何も見えて来ない。仕事もできず不自由な日常が始まってしまい、もう以前のような明るい日常生活には戻れない。
何日も人と会うこともないから、髭も剃らず髭ぼうぼう。白髪が多く混じっているから、禁断の玉手箱を開けてしまった「浦島太郎」みたいな風貌だ。
コロナ自粛で東京に出掛けて、友人たちと会うこともないから、特別なお洒落もしない。普段着で自宅生活するから新しい服も買わない。気が付くと下着以外、同じ服を何日も着続けている惨めな自分がいる。「日本昔ばなし」の舌切り雀ではないが、着た切り雀だ。でも殆ど誰とも話をすることがないから舌切り雀かも知れない。
近頃、精神的に不安定なためか?心も虚ろ、気力もない。セミの抜け殻みたいに空洞になって、現実社会の枝の隅っこに静かに止まっている。若い頃のように悩み事があれば、酒をしこたま飲んで酔っ払い、気をまぎらすこともできない。
時々、胸を掻き毟られるほど切ない思いに駆られる。普段、血圧が低い方なのに、不安と腰の激しい痛みから動悸、息切れが激しくなり、血圧が180近くに上がることもある。まるでパニック障害のようだ。
新型コロナウイルスに感染したらどうしようという不安から、血圧の数値が高くなることがあるという。新型コロナウイルスを過度に恐れる必要はないといっても、PCR検査もできず、新型コロナウイルスが目に見えないから仕方がないのだ。
精神的なストレスから食欲もない。痛み止め薬の副作用か?気のせいか?何を食べても美味しくなくて味がしない。
味覚障害か?ひょっとして新型コロナウイルス感染の兆候かと思い不安になってしまう。心と身体のアンバランスから生じたストレスによる体調不良だろうか?手術後、満身創痍で腰が痛くて、だるくて仕方がない。37度近い微熱が続き、横になって休む日も多い。
 コロナ渦では、PCR検査を受けることが無理だから、大学病院で肺のCT検査を受けて見るが、特に異常はないという。
独り暮らし、普段から冷蔵庫にはあまり食品が入っていない。新型コロナウイルスの緊急事態だから買いだめした飲料や保存食は十分ある。食品が多く入っている冷蔵庫を見ると、少し生活が豊かになったような気分になる。味の濃い刺激のある食べ物を探して食べてみるが、やはり美味しくない。
コロナ渦で「トイレットペーパーがなくなる」などのデマが広がり、SNS上やインターネット上に間違った情報が拡散し、更にマスコミの報道に惑わされてトイレットペーパーやティシュなどがスーパーの店頭から消えた。まるで1973年のオイルショックの時のように「狂乱物価」や「商品の品薄」に困ってしまうのだ。
私は、トイレットペーパーやインスタント食品も充分に備えがあるのに、買い出しで外出した時、買う必要がない物まで、つい釣られて購入してしまうのだった。

5月18日の月曜日。愛しい人が亡くなった日、お爺さんの月命日だ。
久しぶりの晴天に恵まれて、雲ひとつなく抜けるような青空が空一面に広がっている。
この一ケ月、自粛生活でほとんど外出せず、人と会わない沈黙生活が、涙の量を少しは減らしてくれたらしい。
スティホーム、スティホームとテレビで盛んに自粛生活を呼びかけている。スティホームというよりスティロンリーだ。年寄りが家に閉じこもり、社会と離れて暮らすのは、きつく侘しい。年寄りは注意しないと世間から閉鎖されてしまうストレスからか?気が付かないうちに無口になり性格が妙に偏屈になってしまうのだ。
新型コロナウイルス感染に伴う緊急事態宣言が、8都道府県で継続。39県で緊急事態宣言が解除された。今日で世界の死者数が30万人突破。10日で5万人増えるペースだ。
日本では感染者の数が減少しているが、死者の数は増えているという。データー的には2週間というタイムラグが生じる。この数字が、この先どれだけ増え続けるのか?全く想像もつかない。
命日でもう一月も過ぎてしまったのか?時間の流れがとても早くて不思議な感覚だ。
人生は気が付かぬうちに急速に過ぎ去ってしまう。それだけ年寄りには、時間が残り少ないということだろうか?
命日だから、お爺さんの墓参りに行こうと思い立ち、車に乗りお爺さんの自宅に向かう。考えた挙句、お墓に飾るお花は買わないで、お婆さんの好物だというペットボトル1 ℓ入りのコーヒー飲料1ケースを土産に買っていく。
チャイムを鳴らすと、腰が曲がって、少し痩せているが元気そうなお婆さんが出て来た。
お婆さんが何故?精神的に落ち込んでいないのか?それは娘と孫と曾孫たちが毎日、心配して来てくれるからだ、と言う。お爺さんも普段から口数は少ないが、可愛い曾孫の話をする時は、いつもやさしい笑顔で、うれしそうに語っていたのを思い出す。
長年一緒に連れ添ったお爺さんが死んでも、お婆さんは落ち込んで、生活のリズムが崩れていないのだろうか?私には理解できない……。お婆さんは、私のようにお爺さんの夢を時々見ることがあるのだろうか?
リビングの奥まで箱詰めのコーヒー飲料を運ぶ。まだ重い物を持つとかなり腰が痛い。
「私が冷たいコーヒーが好きだから、みんな同じ物を買ってくる」と、お婆さんが言う。
よく見るとリビングの隅には同じようなコーヒー飲料の箱詰めがいくつか置いてある。好きな、同じ物を考えて、あえて買ってきたのに……。
「みんなが買って来てくれるからありがたい」と、お婆さんは言いたかったのだろう?
私は腰が痛くても無理して重い物を持ってきたのにまた同じ物かと、言われたように感じてしまった。会話で言葉の綾が足りないからと分かっていても、私は気分を少し害してしまった。
本当はお婆さんが、お爺さんをよく看病しなかったことに対する悔やみ事ではないが、腹立たしい感情が、心の奥底にとぐろを巻いてまだ残っているから気分を害したのだった。
「49日が過ぎていないので、まだ、位牌は仏壇に置くことができない」と、お婆さんが言う。仮の仏壇に飾られている遺影写真は、お爺さんが髪を黒く染めていた5年前の写真だ。
「髪の毛を無理に染めて、若作りしなくてもいいよ」と、私が忠告してから、髪を白髪に戻す前の写真だ。お爺さんは普段あまり写真を撮る機会がなかったから、良い顔写真がないのは仕方がないのかも知れない。
私は綺麗な白髪が好きだ。白髪は年寄りの象徴で、一種の性的なフェティシズムのようなものだが、自分が白髪頭になってしまうのにはかなり抵抗感がある。
「澄ました顔でほほ笑むお爺さんの写真」
「これは孫が撮った写真で、家族や親族には好評だ」と、お婆さんが言う。
髪の毛を黒のマジックで塗ったように不自然なお爺さんの写真を、私はあまり好きになれない。
髪を黒く染めて若く、見せなくてもお爺さんは十分過ぎるほど若い。人の目を気にしなくてもいい。表面的なことより、内面を本当に理解してくれる大切な人がいればいいのだ。
お爺さんが白髪に戻してからは、自分を隠すこともなく、今の年齢を素直に受け入れて、無理に着飾ることもなく、自分のありのまま、自然な姿を認めているようだった。 
私は、持参した数珠を手にし、位牌に手を合わせてから線香を供える。お爺さんの部屋は思ったより、荷物が減り整理整頓されている。何だかとても寂しい気がする。静かな部屋の中を線香の香りが漂い、侘しさを誘う。
家族はお爺さんの好きなもの、望むものを知っていても、本音、本質を知らないと思う。
私は、お爺さんから家族との楽しい話はあまり聞いたことがない。家族で出掛けて食事をする時、お爺さんは何故か?欠席することが多く、どこか浮いた感があった。
「田島さんの家で食事をする時はおかずの種類が多くて、自宅でお婆さんと食事をする時はとても質素で、おかずの種類も量も少ない」という不満をお爺さんがお婆さんに話す。
「お婆さんはお爺さんの健康を考えて、一生懸命に料理を作っているのだから、あまり文句を言ってはいけない」と、娘の敏子さんから窘められたという。
「お婆さんが気を悪くするから、そんなことを言ってはいけないよ」と、私も諭す。
「毎月2万円を食費としてお婆さんに手渡している」と、お爺さんは言う。
その他の生活費はお爺さんが全て支払っている。お爺さんもお婆さんも高齢者だから、食事の量も少なくて質素である。野菜は自分の畑で自給自足しているので、食費はそんなに掛からない。
私は、お爺さんに少しでも長生きして欲しいから、好きな物をたくさん食べさせようと、いつも多くの食品を揃えてしまうのだ。
「夫婦といっても他人。本当はおばあさんと結婚するつもりはなかった」と、何故か?私に何度も告白していたお爺さん。
「お婆さんは都会育ちで山が好きだから、長野県の山奥出身のお爺さんと結婚すれば山に行けると思って一緒になった」と、お爺さんは言うのだ。
お爺さんと一緒になってからお婆さんが、北アルプスの美しい山々に行けたかどうか?お爺さんに聞かずじまいだったが、結婚して人生の山や谷を二人三脚で歩き、人生という山を登り続けたから3人の子宝にも恵まれて、今の幸せがあるのだと思う。
お爺さんが骨董市で買った、男物で古いブランドの登山用のダウンジャケットを、お婆さんが暖かくて良いと嬉しそうに着ていたのが思い出される。
お婆さんに望まれて一緒になったが、当時、お爺さんには他に好きな女の人がいたという。
「共に白髪の生えるまで」誰の目にも、人が羨む仲のいい老夫婦にしか見えないが、当然、夫婦間にしか解らない感情の谷間がある。夫婦生活が理想と現実と異なるから熟年離婚が増えるのだ。何十年も苦楽を共にしても所詮、他人同士なのだろうか?
子育てが終わり、子はかすがいでなくなると、死ぬまでただの夫婦生活の延長になってしまう恐れがある。
「お婆さんは大人しくて、自分から進んで他人と話をしない」と、お爺さんは言っていた。会話が少なく、多くを求めないことで、相手の領域を侵さない。それが夫婦円満を末永く保つことになるようだ。
お婆さんとは、必要最小限の会話しかしなかったらしい。言葉の少なさは時として誤解を招きやすいものだ。会話が止まれば行動も制限される。しかし、それにしても、お婆さんは要らぬ世話を焼かなさ過ぎる。もしかして、そのほったらかしが、お爺さんの突然死という今回の悲劇を産んだ要因なのかも知れないのではないか?と私は考える。
長年一緒に暮らしている夫婦間の溝は、赤の他人に見える訳がない。家族と夫婦間の関係に、他人の私が土足で足を踏み入れる気は毛頭ないが、お爺さんの早過ぎる突然死にはどうしても納得することができない。
夫婦間と家族間に根本的な信頼と理解はあったのだろうか?と、お爺さんが死んでから無暗に詮索するようになった。

ある日、近所のセブンイレブンに買い物に行くと、痩せて腰が90度に曲がった見知らぬお爺さんが入り口の鉄柱に両手でつかまって辛そうにしている。
身体の調子、具合が悪いのか?と思い、私が声をかけようかと思案していると、買い物を終えた奥さんと思われる老婦人がお店から出て来て、お爺さんの手を強引に捕まえて、車まで引きずるように連れて行き、助手席に乗せた。つんのめりそうになりながら引きずられて行ったお爺さんを憐れむ暇もなく、車は発進し、あっという間に立ち去ってしまった。
私はその光景を見て啞然としたが、あれが長年連れ添った老夫婦の姿ではないか?
あの時、お婆さんがもっとお爺さんの面倒を見てくれ、強引に病院に連れていってくれたなら、まだ、お爺さんは生きていたのではないか?と、思うと涙が溢れ出て来た。

家庭という束縛から離れ、男が自由を求めると家を離れる時間が長くなる。私の所にしょっちゅう来てばかりいると、迷惑するのはでないか?と、気にしながらも、お爺さんは頻繁に私の元を訪れるようになった。私は迷惑にするどころか、まだ体調が万全でないので、大いに助かったし、一緒に過ごすことがとても楽しくて嬉しかった。
 長年の夫婦生活で、家庭という場所、安住の地を築いても、夫婦の間に自分の落ち着く居心地の良い場所を見出せないから男が外出する。
「お婆さんを一人にして置いて大丈夫?」と、いつも私が心配して言う。 
「大丈夫、お婆さんは何一つ文句を言わないし、いつも孫たちが遊びに来るから」と、言っていたお爺さん。
「お爺さんが来てくれると、犬も散歩に連れていって貰えると大喜びで、ワン、ワン、ワンと吠え続けてうるさいくらいだよ」と、私が言う。
愛犬クロはお爺さんが来なくなった理由を知る訳もないが、散歩に連れていって貰えないので、少し元気がないようだ。
お爺さんが遊びに来る時に少しでも遅いと、途中で交通事故に遭っていないか?田んぼに車ごと突っ込んで怪我をしていないか?と、よく心配したものだ。
お爺さんが病に倒れる前から常に一緒にいれば、お爺さんを助けられたかも知れないと、何度も考えて悔いる。
お爺さんが亡くなった時、肺に空気を送るチューブを挿入するための穴が、お爺さんの喉に開けられていなかった?
あの大きな大学病院でも新型コロナウイルス患者が満杯で、お爺さんに集中治療ができない状況だったのではないか?
お爺さんが高齢者だから、命の選別が行なわれたのかも知れないなどと、今になってから要らぬこと考え、思い返すがどうしょうもない。お爺さんを失くした悲しみは、私が生きている限り、一生付きまとうのだ。

「霊園が大きくて、お墓が分かりづらいから、一緒について行く」と、お婆さんが言う。
気詰まりの空気は少し嫌だが、断わる訳にもいかない。お婆さんが車に乗り込む時、足元を見ると、私がお爺さんに買って上げた冬用のブーツを履いていた。お婆さんにもブーツを買って上げれば良かったと後悔した。
お爺さんにプレゼントした赤系のシャツを「わしには少し派手過ぎる」と、言っていた。
その男物のシャツを後で、お婆さんが着ていたのを思い出す。
お婆さんと二人きりのドライブは初めてなので、かなり気を遣う。お婆さんも少し耳が遠いが、会話があまり弾まないのは、どうもそのせいばかりではないようだ。やはりお爺さんが言っていた通り、お婆さんは控え目で、私の問いかけには答えるが、全然話しかけて来ないのだ。
近所の人にも自分からは進んで話かけないから交流も少ないという。それではお爺さんが自分の家にいてもあまり楽しくなくて、私の家に来たがったのも当然のことと思える。
私からお爺さんの知人の話題を探して話かけて見る。
「山谷さんには連絡したの?」と、聞く。
「山谷さんに連絡したが、まだ焼香にも来ない」と、お婆さんが言う。
「自宅と田島さんの家、どっちが自分の家だか解らない」とからかわれると、お爺さんから聞いていた山谷繁さんのことだ。
お爺さんとは30年間も親しかった茶飲み友達で、喫茶店へコーヒーを飲みにお爺さんを誘っても、いつもお爺さんが、私の元に出掛けていて留守が多かったからだろう。
「山谷は気が小さく、何でも消極的でダメだ」と、生前にお爺さんは言っていた。
山谷さんは一度、軽い接触事故を起こしただけで、車の運転が怖くなって、お爺さんよりずっと若いのにすぐに免許を返納したらしい。
「そのうち山谷さんと3人で、お茶でも飲もうよ」と、私が提案していたが、結局、私たちは一度も合うことがなかった。
山谷さんが長い付き合いの友人といっても、お爺さんの人生、人となりを本当に理解していたのだろうか?と、考えてしまう。
「山谷さんは恐らく、もうお爺さんと合うことがないと思うから焼香にも来ないのだろう」と、お婆さんは言う。
「せめて一度くらい線香を上げに来てくれたら、きっとお爺さんも喜ぶだろうに……」と、私は答える。
「みんな年取って亡くなった友人ばかりだが、残った数少ない友達や特に親しかった近所の人たちが、何人か線香を上げに来てくれた」と、お婆さんから聞くことができて、いくらか安堵した。
新型コロナウイルスの影響とは言え、誰も線香を上げに来ないのでは、みんなに親切で、誰からも好かれたお爺さんが、あまりにも可哀そうで泣けてしまう。

霊園には県道の抜け道を通ったから40分程で到着した。お婆さんの道案内が確かなので、お婆さんの認知症の機能はまだ大丈夫のような気がする。
霊園は国道から離れた郊外のとても広くて静かな場所にあった。霊園内で数人の管理人が、のんびりと掃除をしていて、手入れが良く行き届いている。暖かい陽射しの中で木々の緑が爽やかな風に揺れ、お墓の近くには薄紫の菖蒲が咲いていた。
「お墓は50年位前、まだ3歳だった「春喜」が、交通事故で死んでしまった時に購入した」と、お婆さんが話をしてくれる。今、そこにお爺さんのお骨も入っているのだ。
あの世で久しぶりに可愛い子供「春喜」に会えたから、独りで寂しくないかな?と思う。
自宅の前で「春喜」が車に引かれて事故死した時、近所の創価学会会員の男が勧誘に来た。悲しみに暮れていたお爺さんは創価学会の入会を断ったという。
「創価学会に入会していなかったから、子供に不幸が訪れた」と、その男に言われたという。
普段、温和で大人しいお爺さんが激怒し、それ以後、「創価学会と宗教すべてが嫌いになった」と言っていた。
宗教は気を付けないと人の不幸に便乗して、心の弱さ、心の隙間に付け込んで来るケースが多いのだ。特に独り暮らしの孤独な年寄りは注意しなければならない。
お墓を掃除してお水を掛けて清め、お婆さんは、自宅から持って来た切り花を飾る。私は、用意して来たローソクと線香に火を点し、静かに手を合わせて目を瞑る……。
お婆さんが側にいて気を遣うせいか?独り静かに涙を流すことができなかった。
お爺さんが病に倒れるのがもう一月でも遅ければ、新型コロナウイルス感染の医療現場の環境と状況が少しは進歩して、お爺さんが死ぬこともなく、私は今、ここにいなかったかも知れない……。そう思うと残念でならない。
「ホー、ホケッキョー」とウグイスがすぐ近くの木の上で鳴いている。お墓の中にいる耳の悪いお爺さんには聞こえているのだろうか?人はいつか必ず死ぬ。死者より残された者の悲しみは捨てがたくやり場がない。悲しみの壁をどう乗り越えたらいいのだろう。骨董仲間の奥さんが言うように、時が本当に解決してくれるのだろうか?
お墓参りを終えて車に乗り込み、また来た道を戻ってお爺さんの家に到着した。
お婆さんが入れてくれた熱いお茶を飲み、私が途中で買ってきた葛桜の饅頭を食べながら、お爺さんの部屋をもう一度ゆっくりと眺めて見る。
お爺さんの遺品が片付けられてしまった部屋は、親族でない私が拒否されて除外されるようで、とても空しく居心地が悪い。息子たちや孫たちが、お爺さんの遺品をみんなで片付けて持ち去ったという。
私がお爺さんにプレゼントした品々や、お爺さんが骨董市で買った物が、全て跡形もなく無くなっている。お爺さんが昔、愛用していたギターが1本残されている以外、まるで微生物がゴミを分解し処理したみたいにきれいに片付いている。普通なら遺品は故人の思い出がたくさん詰まっていて、なかなか処分できないらしいものなのだが……。
何故か?お婆さんは一切それに関知しなかったという。どこまで控え目なのか?無関心なのか解らない。私は少しでもお爺さんの遺品片付けを手伝うつもりだったのに……。
とても寂しい。また、お爺さんの形見の品々を一つも受け取れなかったことが心残りだ。形見は二人で過ごした楽しい時間、記憶に刻んだ思い出だけになってしまった……。
お爺さんが飼っていたメダカと小鳥「ひばり」は、お婆さんが面倒を見るという。もっとも、お爺さんは家を空けることが多かったから、ほとんど毎日、お婆さんが世話をしていたのだったが……。
「こんな時だから、コロナ詐欺に気をつけてね!」と、お婆さんに言い残して家を後にした。
もう、二度と再びこの家を訪れることがないのかも知れないような気がした。
26/08/18 20:30更新 / 河志摩 運
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