「レクイエム1」 @新型コロナウイルス感染
「坊やよい子だ ねんねしな」
「いまも昔もかわりなく」
「母のめぐみの子守唄」
「遠いむかしの物語」
むかしむかし、あるに村に、人のよいおじいさんとおばあさんがおりました。
ある晴れた日のこと、おじいさんが畑をたがやしていると、急に寒気がして、熱がでてきました。おじいさんはとても具合が悪いので、コタツに入って寝ておりました。
おばあさんは夕ごはんを作りましたが、おじいさんは食べたくないと言って、箸をつけず残してしまいました。
夜になり冷え込んできたので、おばあさんは、おじいさんといっしょに、コタツに入って寝ておりました。
翌朝、おじいさんは、熱がひどくなり息苦しくて、朝ごはんを食べることができないし、水さえ飲むことができませんでした。
おじいさんは、突然、コロナという今まで聞いたこともない恐ろしい病にかかってしまい、あっけなく死んでしまいました。
『新型コロナウイルス』
4月17日、金曜日。雨しとど。
何でよりによって、こんな時に大雨なのだ!
大粒の雨が、車のウインドガラスを激しく叩き付けて来る。ワイパーが左右にせわしなく動き続けて雨を弾き飛ばしているが、激しい雨で前方が良く見えない。
こんな強い雨では、恐らくパトカーはいないだろうから、捕まることはないだろう!
田島昇三は、そう考えて軽自動車のアクセルを強く踏み込み、さらにスピードを上げた。
「事実は小説よりも奇なり」焦る気持ちが、不安感と喪失への恐れを助長する。
悪い予感があったのに何故?何でもっと早く行動しなかったのだ!と悔いる。
朝からお爺さん(伊吹春吉)の携帯電話に何度も連絡したが、留守番電話になっていて出ない。自宅の固定電話に掛けると、お婆さん(伊吹敏江)が出た。
「お爺さんは病院に出かけて行ったが、病院は休診でもうすぐ帰って来る」と言う。
その言葉を信じ、うのみにして数時間も待ってしまったことが悔やまれる。
その後、お爺さんの携帯に何度連絡しても、やはり出ない。何故、お婆さんはお爺さんが、病院へ行ったと言ったのか?私には解らない。
「どうしたの?大丈夫?大丈夫か?」
昨夜、耳が遠いお爺さんに、何度も念を押して聞いた時のことが思い浮かび、その時のいつもと違う辛そうな聲が耳から離れない。
「もうタバコをやめて、火曜日に遊びに行くから」と、言ってすぐに電話が切れてしまった。
お爺さんの苦しそうな声が気になって、すぐに電話を掛け直す。
「あっ、あとでかける……」
辛そうな緊迫した声が聞こえてから、一方的に通話が切れてしまった。それ以後、電話が全然通じない。
「家の中では、ガラケー携帯の電波が悪いから」
いつもならそう言って、すぐ部屋の外に出て話を続けてくれていたのに……。
虫の知らせか?私は妙な胸騒ぎがして1分1秒でも早くお爺さんの自宅に行かなければならないと焦った。アクセルをさらに強く踏み込むと、車はブゥォーと音を立てて、力強く加速した。何回も通い慣れた道路だが、いつもより信号が長く感じられて、もどかしくて苛立つ。
雨脚はさらに激しくなっている。一刻も早く到着したい気持ちから、信号を無視したい!という考えが頭に浮かんで来る。
ようやく市中の渋滞を抜けて、やっとお爺さんの家にたどり着いた。急いで車から降りて、玄関のチャイムを鳴らし、ドアを開けると、廊下の先のリビングルームの中はとても静かだ。
家の中に誰もいないのか?リビングルームの中に入ってよく見ると、リビングの中央にあるコタツにお爺さんとお婆さんが寝転がっていた。
お爺さんが仰向けに転がっている姿を見てあっと驚き、私は、唖然として言葉を失った。お爺さんは、起き上がることもできず寝返りも打てない状態で、呼吸困難でゼーゼーと息をして苦しんでいるではないか!
高熱で熱いのか?寝間着が肌蹴て、ほとんど素っ裸だった。その信じられない光景に気が動転し、その場に立ち竦んでしまう。
お婆さんが、コタツからゆっくりと起き上がって来て、お爺さんに私が来てくれたことを告げるが、お爺さんは意識朦朧として反応がない。どうしょう……。
すぐに持参した体温計を脇の下に差し込み、携帯用の血圧計を手首にはめて血圧を計ろうとするが、お爺さんが苦しくて身動きするので焦ってしまい上手くいかない。
お爺さんが、一人で水を飲むこともできず苦しんでいるのに、何故?お婆さんが放って置いたのか解らない?憤りの感情に打ちのめされるが、早急に何とかしなければならない。
来る途中で買ってきた冷たいリポビタンDを早く飲ませようとしても、ビンの飲み口が小さくて難しい。仕方がないのでゼリー状の栄養ドリンク「即効元気」を口に含ませる。
お爺さんは、ほとんど水も飲まして貰えず、余程、喉が渇いていたらしくて、酸欠の鯉が水面で口をパクパクさせるように必死で口を動かして飲もうとする。むせないようにお爺さんの首を持ち上げ、注意して何とか飲ませることができた。
どうして、お婆さんは介抱しないのだ。何で救急車を呼ばないのだ!年寄りだから仕方がないのか?理解できない。もう、手遅れかも知れない。どうしょう…。どうしようもない!
ピイーッと体温計が小さく鳴る音がしたので体温計をよく見ると、熱が39,5度もあるではないか。大変だ!大変だ!
お婆さんに急いで娘さんに電話するように指示した後、すぐ119番に電話した。
お婆さんにこの家の住所を聞きながら、電話口の交換手に住所を告げて救急車を呼ぶ。
「約7分後にそちらに向かうから、外で救急車を誘導して欲しい」と言う。
瀕死のお爺さんから一時も離れたくないが、救急車のピィーポー、ピィーポー、ピィーポーという甲高いサイレン音が近づいて来たので、家の外に飛び出た。
しばらくの間、自宅前の道路で待機する。ここは道がとても狭くて大きい車は入りづらい。到着した救急車は要領が悪くて、ハンドルを何度か切り返して、やっと自宅前に駐車することができた。
救急隊員は、新型コロナウイルス予防対策のためか?防護服のような服装で身を包んでマスクをしている。一時も猶予できない緊迫した状況だから、即座に室内に立ち入って来る。
「お爺さんの年齢、どうして具合が悪くなったのか?」と、救急隊員のリーダーがお婆さんに聞いている。
お婆さんは、耳が遠くて良く聞こえないから埒が明かない。私が、大きな声を出してお婆さんに聞いてから隊長に伝えた。
救急隊員が、急いでお爺さんの口に酸素マスクを着け、指先にパルスオキシメーターをはめて、血中酸素濃度と脈拍数を測っている。
お爺さんの持病と飲んでいる薬の名前を救急隊長に聞かれるが、お婆さんは詳しく答えられない。
「お爺さんの薬手帳がどこにあるの?」と、私がお婆さんに聞いても場所が解らないので、リビングルームの戸棚とお爺さんの部屋を探すが、どうしても見つからない……。
救急隊長は、仕方がないのでお爺さんの掛かりつけの病院をお婆さんから聞いてから連絡を取り、持病や投薬の確認をした。それからようやく、救急隊員二人で、お爺さんを担架に乗せて、まだ雨が強く降り続いている中、玄関前に駐車してある救急車に搬送した。
その時、私は、お爺さんの上半身裸の身体が、酷い雨で濡れてしまわないように気遣い、肌蹴た寝間着を被せてあげながら、一緒に救急車に乗り込んだ。寒さには比較的に強かったお爺さんだが、雨に濡れてさらに体調を壊してしまい、これ以上苦しんでは大変だ‼
私は以前、腎臓結石で七転八倒してもう死ぬかと思った時と、食中毒になってのたうち回って苦しんだ時、知人が脳梗塞で倒れて救急車に同乗した時の3回も救急車に乗った経験があるので、救急車に乗ること自体にはあまり動揺していない。
救急隊長が、無線のやり取りで搬送する病院の手配をするが、コロナ禍のせいか手間取り、すぐに出発してくれないのがもどかしい。緊迫した時間が急速に慌ただしく過ぎて行く。
救急車の車内で再度、救急隊長にお爺さんの生年月日を聞かれたが、お爺さんの酷く苦しむ様子に気が動転して間違えて伝えてしまった。
数分後、タクシーで急いで駆けつけて来た娘の敏子さんと、お婆さんが、救急車に乗り込んで来た。
初対面の敏子さんは、私が想像していたイメージとは随分異なっていた。母親似で少し痩せ気味、化粧品のセールスを担当しているという割には、あまり親近感が湧いて来ないのだ。今後、どこかの街角で出会っても、すぐには気が付かないかも知れない。
「田島さんが来てくれて、救急車を呼んでくれた」と、お婆さんが敏子さんに話している。
お婆さんはただ敏子さんに報告しただけのつもりかも知れないが、そんなにのんびりとした話ではない。敏子さんも私に頭を少し下げただけで、お爺さんの容態と経過について、私に何も聞こうとしない。こんな緊迫した状況だから仕方がないのかも知れないが、父親が大変な緊急事態だというのにあまり動揺している様子もないのが、私は腑に落ちなかった。
お婆さんがもっと早く看病して、通報していれば、こんな事態になるのを防げたはずだ。私は、お婆さんを非難する感情を払拭できないで困っている。
風雲、急を告げるのに、私は内心憤慨しているが、じっとして黙っていた。
「お爺さんは、海外渡航歴があるか?」
「基礎疾患があるか?」と、救急隊長が、敏子さんに聞いている。
「新型コロナウイルス感染者と接触があるか?」
その質問に、私はイラついて「ない!」と、つい口をはさんでしまった。
私は、救急車に設置してある機器の数値や心電図の波形が気になって、救急隊員に聞いた。
「数値は血液中の酸素量を表していて、今の数値は酸素量が不足している」と教えてくれた。
血圧の数値、脈拍、流れる心電図、上部にある点滅する緑色のランプの光が不安を煽る。
お爺さんの心臓が、いつ止まってしまうか?私は心配で冷静ではいられない。苦しむお爺さんを見ていると、病院への到着が非常に遅く感じられて、居ても立っても居られない。
お爺さんは、酸欠で苦しそうに身をよじり両手を上げて、まるで空気中の酸素を探して、酸素を掴もうとするように必死で宙を引っかいている。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫だから」と、私は何度も何度も声を掛けながら、お爺さんが長年にわたり苦労して来たことを示す皺だらけの手、少し冷たい指をしっかりと握りしめた。
「私が付いているから大丈夫」と、耳が遠いお爺さんの耳元に小声で強く語りかける。
お爺さんが苦しくて身動きするので、酸素投与するマスクが外れそうだ。まだ若い救急隊員が、手馴れていないのでやきもきする。私は、お爺さんの身体をそっと優しく、しっかりと抑え込んだ。
救急隊長が、状況を把握してから決めた最も近い大学病院へ向かって、やっと救急車を出発させた。何とか救急患者のたらい回しだけは逃れたようなので、良かったと思い安堵する。
ピィーポー、ピィーポー、ピィーポーと、救急車の甲高いサイレン音が鳴り響きわたり、街中を不安の空気に陥れる。病院到着までの時間が非常に長く感じられ、もどかしくて、私のイライラ感が、心電図の波形のように増幅している。
ようやく、病院に到着すると、お爺さんは、すぐ救急患者の入口から集中治療室(ICU)に救急搬送された。集中治療室には、新型コロナウイルス菌が外に漏れないように気圧を下げた陰圧室が設けられている。透明な厚いビニールカーテンで仕切られている空間の一角には、人工呼吸器が設置してある。新型コロナウイルスに感染した疑いがある場合は、感染防止のために患者は早急に集中治療室に隔離されてしまう。
それ以後、3人とも透明なカーテンの向こう側に移動され、集中治療室に隔離されているお爺さんとは、面会することが許されなかった。
その後、私たちは看護婦長に別の部屋に呼ばれて状況説明を受けた。
「今は呼吸困難なので、酸素マスクだけでは無理な場合は、喉に穴を開けて空気を送るチューブを挿入するかも知れない」と、告げられる。
そしてまた長い間、待合室で待たされ続けた……。
かなりの時間が過ぎてから、高齢のお婆さんに代わり、娘の敏子さんだけが、家族代表として呼ばれ、お爺さんの状態の説明を受けている。私は心配で、気が気でない……。
「レントゲン検査では、両方の肺が真っ白で心臓もかなり衰弱して、重篤で命が危険な状態だ」と、戻って来た敏子さんから知らされる。私は言葉を失って黙り込んでしまった………。
お婆さんはそれを聞いてもまるで他人事のように取り乱すこともなく、ただ黙って静かに椅子に腰掛けている。
今、お爺さんは麻酔で眠った状態なので、痛みからは解放されているのが、せめてもの救いだ。子供たちや身内への連絡とお爺さんの保険証などを探さなければならないので、取り敢えず自宅に戻ることにした。
新型コロナウイルスの影響か?バスの便が少なく、タクシーもすぐには捕まえることができない。私は病院の受付で聞いて来たタクシー会社の番号に携帯電話から掛けた。そして、しばらくしてやって来た黒いタクシーに3人で乗り込んだ。
「私は以前、この大学病院に掛かって通院したことがあるから、道は良く知っている」と、タクシーの車内で、敏子さんが母親に話している。
私は、お爺さんがもう助からないのではないか?と考えて、自ら暗い雰囲気に飲み込まれてしまい、会話の糸口を探すがなかなか見つからない。沈黙の空気に耐え切れず、私は車窓から雨に濡れた街並みを静かに眺めて、途方に暮れるしか仕方がなかった。
お爺さんの家の近くにあるセブンイレブン前でタクシーを止めた。敏子さんが料金を払おうとする。私は、走行中に後部座席からタクシー料金のメーターの動きをチラチラと見て、すでに用意して置いたタクシー代の3千円を手にしている。
「お爺さんには、大変お世話になったから、私が払います」と、言って無理矢理に支払った。
自宅に到着して、リビングルームに入る。慌てて駆け付けた時には気が動転して気づかなかったが、お爺さんが失禁して汚れた下着やズボンなどがそのまま放置してあった。それが気になって、私が処理して片付けようする。
「そこまでしなくていいから放っておいて!」と、お婆さんと敏子さんに止められてしまう。
私はヘルパーの資格があり、介護職の経験もあるから少しも苦にならないのに……。
敏子さんが、特に取り乱す訳でもなく落ち着いているのは、離婚してから一人で娘を育てた気丈さなのか?こんな時、男より女の方が落ち着いて動揺しないものなのか?私には良く理解できない……。
私は手持ち無沙汰で他にすることもなく、暗く湿った気まずい雰囲気には耐えられない。
「お爺さんに何か、もしものことがあったら、すぐに連絡して欲しい」
そう言って、敏子さんに名刺を渡して、取り敢えず車で帰宅することにした。
帰り際、玄関前に駐車してあったお爺さんの軽自動車が気になり、ボックスの中を見ると保険証と薬手帳が入っていた。それを敏子さんに手渡してから自車を発進させた。
私は、自分にとって「特別な人」の不幸を予知する力が、備わっているような気がする。何か危険を知らせる嫌な予感「虫の知らせ」というやつだ。私の母、田島菊乃の時もそうだった。仕事で出掛ける予定時間なのに、何故か?妙な胸騒ぎがして気が進まないでいると、突然、電話が鳴り、実家から母の死を知らされた。悪い予感が当たってしまったのだ。
昨夜、お爺さんが、苦しくて助けを求められない状況だったのに、何でもっと早く駆け付けなかったのか?という後悔の念が沸々と湧いてくる。普通に話すことができないくらい、さぞかし胸が苦しかったのだろう。そう考えると悔し涙が零れ落ちる。お爺さんが、死んでしまうのではないか?不安で胸が締め付けられる。虚ろな運転を繰り返し、どうにかこうにか自分の家に辿り着くことができた。その夜は心配で、心配で、ほとんど一睡も眠ることができなかった。
4月18日、土曜日の朝、携帯電話が鳴った。番号を見ると昨日、入力して置いた敏子さんの携帯からだ。不安に恐る恐る、電話に出る。
「お爺さんが昨夜8時頃、息を引き取った」と、敏子さんが告げる。
絶句……。涙が溢れ出て放心状態……。
慟哭!。嗚咽で震えが止まらない。
救急治療室に運ばれた後も意識を回復することもなく、家族にも看取られることもできなかった。死は無常だ。病院のベッドでひとり淋しく、蝋燭の炎のように命の火を静かに消して逝ったお爺さんが不憫でたまらない。
「遺体は、昨夜の内に自宅に運ばれて安置されている」と、敏子さんが言う。
コロナ禍で自宅に運んで本当に大丈夫だろうか?と思う。新型コロナウイルスに感染しているかも知れない状況なのに何故?と心配になる。もし新型コロナウイルスに感染していたら、そのままお爺さんの遺体は火葬されてしまい、自分の家に戻ることができなかっただろう。私は、それで良かったのかも知れないと考える。
「コロナ禍だから、家族だけで葬儀を行います」と、敏子さんから告げられる。
私は、家族葬に出られない……。私は家族でないので当然である。
所詮、人間は独りで生まれ、独りで死んで逝く。解っていてもその不安を打ち消すために、人との深い結び付きを願うのだ。別れの悲しみはとても深くて切ないものだ。愛が深ければ深いほど、それが奪われた時に人は苦しむ。
私は、少し冷静さを取り戻したが、涙は流れ続けて止まらなかった。
「PCR検査は行うのですか?」と、敏子さんに聞いた。
「保健所は、土日が休みだから検査はしないらしい」と敏子さんの返答。
何故なんだ?お爺さんが、あれほど急激に重症化して死んでしまったのだから、当然、PCR検査をしなければならないはずだ。
今、日本ではPCR検査が、そう簡単にできない難しい状況だと思う。だが、お爺さんのせきや発熱など、急速な病状変化は、新型コロナウイルス感染によって免疫が暴走して重症化したとしか思えない。
本当にあの病院は、お爺さんに最新のエクモ(体外式膜型人工肺)などの最善の治療をしてくれたのだろうか?と、疑問に思う。
あの激しい苦しみ様は『絶対に新型コロナウイルス感染に間違いない』と、私は考える。
もし、そうだとしたら感染源は、一体どこ何だろうか?解らない?
密閉、密集、密接の3密と不要不急の外出をなるべく避け、お爺さんと二人で出掛ける時は必ずマスクをさせ、帰宅したら手洗いをするようにお互い注意していたはずなのに……。
「西村経済担当大臣が、熱もなく新型コロナウイルス感染の疑いが全くないのに、いち早くPCR検査をした」という。政治家は特別で、高級国民だとでも言うのか?
「官僚である自分だけが助かりたいのか、ふざけるな!」と、言いたい。誰でもすぐにPCR検査が受けられる訳でなく、路上で死亡した人を後で検査した結果、新型コロナウイルスに感染していて陽性だと判明するケースもある状況なのに!
お爺さんは、月曜日にPCR検査する予定だったが、金曜日の夜に死亡したので、PCR検査はしなかった。それはどう考えてもおかしいから納得がいかない。
今、病院や保健所が大変な状況であるに違いないが、お爺さんをPCR検査して、正確な死因を調べて統計に加えるべきなのに、明らかに行政の責任放棄だとしか思えない。
PCR検査をしないとお爺さんは、新型コロナウイルス感染の「隠れ死亡者」になってしまうだろう。もしPCR検査の結果が陽性で、新型コロナウイルスに感染していたとしたら、私とお婆さんは濃厚接触者だ。でも、いつ、どこで、だれと?市中感染か?どう考えても感染経路は全く不明瞭なのである。
どこかの山から飛んで来た目に見えないスギ花粉みたいに、新型コロナウイルスに突然、飛沫感染した?とでもいうのか、私はあり得ない恐怖に慄いた。
家族の事情、プライバシー保護の観点から、検査をしない方が良かったのかも知れない。
後でよくよく考えると、新型コロナウイルス感染者の家族と濃厚接触者は、周辺から偏見や差別を受けるかも知れないので、そう思えるようになった。
「もうタバコをやめる」とあの時、自分から電話口で言ったのは、肺が息苦しくて呼吸困難だったからに違いない。かわいそうなお爺さん……。
私がお爺さんと同居していれば助けてやれたかも知れないと、思うと切なくて情けない。人と別れる虚しさ、もう逢えない寂しさ悲しさに打ちのめされてしまう。本当に辛い……。
今になって考えると、お爺さんの大好きだった冷えたゼリー状のドリンク「即効元気」が、最後の「死に水」となってしまった。私が冷静に落ち着いて、もっとたくさん水を飲ませて上げれば良かったと後悔する。
あの時、お爺さんは意識朦朧の状態で、果たして私に気づいてくれたのだろうか?恐らく私と認識できる状態ではなかっただろうと思うと、様々な後悔の念が胸に充満する。
お爺さんは、近所の家から草刈りを頼まれていたので、私と一緒にホームセンターへ行き、新しい草刈り機を買い、園芸コーナーで、キュウリやトマトの苗を購入した。
具合が悪くなる日の早朝から、草刈りを終わらせて、自分の畑にキュウリやトマト植えて、とても元気だったそうなのに何で……。どうして……。
『新型コロナウイルスに感染する?』よりも、畑仕事をしていて破傷風にでもなってしまった方が、まだ助かったような気がする。
お爺さんは、糖尿病などの基礎疾患もなく心臓も特に悪くない。私よりも、ずっと調子が良かった。それなのにどうしてだろうか?やはり高齢者で喫煙者、タバコを吸うと咳が出る呼吸障害、慢性肺疾患と高血圧のリスクを負っていたのが悪かったのか?
「新型コロナウイルスは、初期の段階でウイルスの増殖を免疫や薬の力で止められれば重症化は防げる」といっても、突然、全身の状態が悪化して多臓器不全を起こしてしまったら手の打ちようがなかった。
「新型コロナウイルスは発症から1週間程度で重症化、10日目以降に容体が急変する」と、言われている。それなのに肺炎を起こして心臓が弱ってしまい、たった2日で呆気なく死んでしまうなんて!今でも到底信じられない……。
お爺さんの突然死の正式な死亡証明書は、私は家族でないから見せて貰えない。
人間、年を取って肺炎で死ぬのが一番怖い。死亡者の98%は65歳以上。60歳過ぎの人に肺の生活習慣病が急増しているらしい。
自宅や路上で死亡し、後で新型コロナウイルス感染が解った人に、脳梗塞や心筋梗塞、肺塞栓症による突然死の可能性があるという。
新型コロナウイルスが大流行だから「密葬」で、もうお爺さんのお骨とも会えないかも知れない……。
茫然自失……、何もせず、ただ無闇に過ぎ去る時間を、激しく込み上げて来る悲しみの涙で濡らし続けるしかないのだ。自粛生活で、どこへも外出せずに独り巣ごもりしている。
幸せとは意識しない事、幸せとは何か?を意識した瞬間に壊れてしまうもの。何も考えずに普通に生活して、自然に流れ過ぎる時の経過にあぐらをかいている安易な日常生活が幸せなのだ。
……不意に香典のことに気が付く。「家族葬」なので、葬儀への参加は無理だとしても、お爺さんにお世話になった感謝の気持ちから、せめてお礼に香典くらい届けなければいけない。花くらい捧げなければならないと気が付いた。
玄関口で香典を家族に渡して、すぐに帰ってくればいいのだと、思い付く。しかし、お爺さんの恩義に対して、一体いくら包んだらいいのだろうか?10万円が多いのか?5万円が少ないのか?今の私には感謝の値段と重さが解らない。仮に100万円出せたとしても全て家族のものになり、現実的にお爺さんが喜ぶ訳ではない。
「そんなに出さなくてもいいから、何もいらないよ」と、きっとお爺さんは、笑って言うに決まっている。
政府は、新型コロナウイルス対策として国民一人当たり10万円の特別定額給付金を5月中に給付する予定だという。
「政府はどんどんお金を印刷して、国民にみんなに配ればいい」と、言っていたお爺さんが、もう少し長く生きていられたら、10万円のお金が貰えたかも知れないのに残念だ……。
4月19日、日曜日の午後。悲しいが、お爺さんの死後も永遠にご縁が続きますようにと願い、感謝とありがとうの思いを込めた心と5万円を入れた香典袋を持って、お爺さんの家へ車で出掛けた。
今日はあの日のように強い雨は降らないが、天気が愚図ついて、私の心のように空は灰色の曇にすっぽりと覆われていて湿った空気に満ちている。
自宅の周辺に見覚えのない車が数台止まっている。恐らく家族と親族の車だろう?自宅から少し離れた道路の空間を探して車を止め、通い慣れた家の玄関ブザーを鳴らして中に入る。
家のリビングルームとお婆さんの部屋の狭い空間に15人位の人たちが、喪服ではなく普段着で誰ひとりとしてマスクもしないで集まっていた。緊急事態だから仕方がないのかも知れないが、何故か?違和感を覚える。私は、新型コロナウイルス感染を心配してマスクを着用し、喪服ではないが、せめて黒っぽい服装をして出掛けたのだった。
「一日葬」で、お通夜も行わないという。私は頭を下げてささやかな挨拶を済ませ、香典を渡してすぐ帰るつもりだった。でも、お爺さんが私を、玄関から部屋の奥へと導いてくれたのだろう。家の中にお邪魔して、お爺さんの部屋に無言で横たわっていたお爺さんと対面する。私は号泣して、白い布を被せてあるお爺さんの顔をすぐに拝むことができない……。
何でみんな泣いていないのだろう?部屋の中は暗い「死」とは異質な、妙に明るい空気が漂っている。
家族の悲しみの渦の中に、身内でない私が独りで入り込んで行くことに気兼ねしていたのに……。何故?
そう言えば「お爺さんとお婆さんは、いつも仲が良くていいねえ〜」と、私が言うと、
「うちは夫婦といっても赤の他人、お金は夫婦別々だ」と、お爺さんは言っていた。まさか疑似夫婦、疑似家族じゃああるまいし……。
お金か、義理か、名誉か、人生の最後まで手放してはいけないもの。年老いても大切にすべきものは家族か、誠実さか、愛か、何だろう?
私だけ身悶えして、みっともない程、泣き崩れているのは何故なんだ?血の繋がらない赤の他人同志でも、男同士の絆がもたらす情念の悲しい涙が溢れ、流れて止まらない。
この部屋の状況は、まるで誰かのお祝い事に一族みんなが久しぶりに集まって賑わっているみたいだ。その楽しそうな雰囲気はとても不自然だ。悲しみをあえて笑いで打ち消そうとしているとはとても思えない。悲しみに打ちひしがれる空気が、全然感じられない。家族って何?夫婦って何だろう?
「お爺さんが、どれだけみんなに好かれたか!」と、私はそこにいる全員に涙声で訴えた。私の知り合いみんなが、親切で愛嬌のあるお爺さんに好意を寄せていたのだ。
「お爺さんが、私を助けてくれたのに、私はお爺さんを助けてやることができなかった」と、家族に詫び、口惜しさに奥歯を噛みしめ、右腕で溢れる涙をぬぐい去った。
最後は声が震えて言葉にならなかった。激しく泣きじゃくり嗚咽する初めて見る知らない男に親族たちはみんな、恐らく違和感を抱いたと思う。
「人の死」というものが何か?何も知らないで「お爺さんは今、ただ眠っているだけ」と、祭りの時のように元気に騒いでいた幼い子供たちでさえ、キョトンとした顔をしている。
「久しぶりの親族の団欒を台無しにした男の人は誰?」というような不思議な視線に、私は囲まれていた。
その暗い澱んだ空気の中、震える手で線香を上げる。お爺さんの枕元、日に焼けた畳の上に直に置かれた線香立てが質素で慎ましくて、とても淋しい気がする。
焼香を済ませると、線香の白い煙がゆらりゆらりとゆっくり静かに舞い上がって行く。悲しみと共に香ばしい線香のきつい匂いが、薄暗い六畳間の部屋にゆっくりと流れて、充満して行く……。
私は、お爺さんの冷たく血の気のない顔だが、安らかな寝顔に両手でそっと触れた。
「本当にありがとう」と、ごく自然につぶやいた。
畳から立ち上がる時、腰の痛みで一瞬よろめいた。香典袋とお爺さんと二人で写っている展示会での記念写真を敏子さんに手渡して、その場をふらつきながら離れ過ぎようとした。
「お蔭様で綺麗な顔をしています」と、部屋から離れる時に聞こえた妙に明るく乾いた声、初めて対面したお爺さんの長男、光春の言葉が悲しみに動揺する私の背中に突き刺さる。
光春さんが役所勤めしているせいか?とても事務的な言葉に聞こえてしまうのは、私がお爺さんの「死」を受け入れらない気持ちが強いからだろうか?例えお爺さんの自慢の息子の言葉であっても、私は素直な気持ちで聞き入れることができないのだ。
「顔なんか汚れていても、汚くてもいいから、もっと長く生きていて欲しかった」
私のその切ない気持ちは、恐らくここに居るみんなには伝わらないだろう。今、お爺さんの「突然死」に対する思いは、誰ひとり一滴の涙も流していない家族や親族たちとは共有することができない感覚で、到底納得できそうもないのだ 。
ブー、ブー、ブーと玄関のチャイムが鳴る。葬儀屋の車が来たらしい。コロナ禍なので、人目を避けて普通の葬式も開けない「1日葬」は淋しい。
私も親族数人と一緒に玄関の外に出る。すると小太りの男が私に近寄り、頭を下げて挨拶をして来た。
「次男の方ですか?」と、私は見当をつけて言った。思ったより人相の悪くない顔をした男は、私の顔を見て、笑顔を浮かべるようにはにかんだ表情で「そうです」と親しげに答えた。3人の子供たちは、いずれも母親似でお爺さんにはちっとも似ていない。
「次男の孝春が離婚して再婚。お爺さんと金銭的なトラブルがあり、確執がまだ残っている」
お爺さんからそう聞かされていたので、私は戸惑い、不肖の息子を警戒して、私ともっと話をしたい様な素振りだった孝春から、すぐに身を引き離れてしまった。
家族でない私は、これ以上邪魔をしてはいけないと思い、残念ながらお爺さんが、霊柩車で葬儀場に運ばれていくのを見送ることもできず、お暇する。これが本当に最後の別れになって、もう逢えないと思うと辛くて悲しい……。
「いまも昔もかわりなく」
「母のめぐみの子守唄」
「遠いむかしの物語」
むかしむかし、あるに村に、人のよいおじいさんとおばあさんがおりました。
ある晴れた日のこと、おじいさんが畑をたがやしていると、急に寒気がして、熱がでてきました。おじいさんはとても具合が悪いので、コタツに入って寝ておりました。
おばあさんは夕ごはんを作りましたが、おじいさんは食べたくないと言って、箸をつけず残してしまいました。
夜になり冷え込んできたので、おばあさんは、おじいさんといっしょに、コタツに入って寝ておりました。
翌朝、おじいさんは、熱がひどくなり息苦しくて、朝ごはんを食べることができないし、水さえ飲むことができませんでした。
おじいさんは、突然、コロナという今まで聞いたこともない恐ろしい病にかかってしまい、あっけなく死んでしまいました。
『新型コロナウイルス』
4月17日、金曜日。雨しとど。
何でよりによって、こんな時に大雨なのだ!
大粒の雨が、車のウインドガラスを激しく叩き付けて来る。ワイパーが左右にせわしなく動き続けて雨を弾き飛ばしているが、激しい雨で前方が良く見えない。
こんな強い雨では、恐らくパトカーはいないだろうから、捕まることはないだろう!
田島昇三は、そう考えて軽自動車のアクセルを強く踏み込み、さらにスピードを上げた。
「事実は小説よりも奇なり」焦る気持ちが、不安感と喪失への恐れを助長する。
悪い予感があったのに何故?何でもっと早く行動しなかったのだ!と悔いる。
朝からお爺さん(伊吹春吉)の携帯電話に何度も連絡したが、留守番電話になっていて出ない。自宅の固定電話に掛けると、お婆さん(伊吹敏江)が出た。
「お爺さんは病院に出かけて行ったが、病院は休診でもうすぐ帰って来る」と言う。
その言葉を信じ、うのみにして数時間も待ってしまったことが悔やまれる。
その後、お爺さんの携帯に何度連絡しても、やはり出ない。何故、お婆さんはお爺さんが、病院へ行ったと言ったのか?私には解らない。
「どうしたの?大丈夫?大丈夫か?」
昨夜、耳が遠いお爺さんに、何度も念を押して聞いた時のことが思い浮かび、その時のいつもと違う辛そうな聲が耳から離れない。
「もうタバコをやめて、火曜日に遊びに行くから」と、言ってすぐに電話が切れてしまった。
お爺さんの苦しそうな声が気になって、すぐに電話を掛け直す。
「あっ、あとでかける……」
辛そうな緊迫した声が聞こえてから、一方的に通話が切れてしまった。それ以後、電話が全然通じない。
「家の中では、ガラケー携帯の電波が悪いから」
いつもならそう言って、すぐ部屋の外に出て話を続けてくれていたのに……。
虫の知らせか?私は妙な胸騒ぎがして1分1秒でも早くお爺さんの自宅に行かなければならないと焦った。アクセルをさらに強く踏み込むと、車はブゥォーと音を立てて、力強く加速した。何回も通い慣れた道路だが、いつもより信号が長く感じられて、もどかしくて苛立つ。
雨脚はさらに激しくなっている。一刻も早く到着したい気持ちから、信号を無視したい!という考えが頭に浮かんで来る。
ようやく市中の渋滞を抜けて、やっとお爺さんの家にたどり着いた。急いで車から降りて、玄関のチャイムを鳴らし、ドアを開けると、廊下の先のリビングルームの中はとても静かだ。
家の中に誰もいないのか?リビングルームの中に入ってよく見ると、リビングの中央にあるコタツにお爺さんとお婆さんが寝転がっていた。
お爺さんが仰向けに転がっている姿を見てあっと驚き、私は、唖然として言葉を失った。お爺さんは、起き上がることもできず寝返りも打てない状態で、呼吸困難でゼーゼーと息をして苦しんでいるではないか!
高熱で熱いのか?寝間着が肌蹴て、ほとんど素っ裸だった。その信じられない光景に気が動転し、その場に立ち竦んでしまう。
お婆さんが、コタツからゆっくりと起き上がって来て、お爺さんに私が来てくれたことを告げるが、お爺さんは意識朦朧として反応がない。どうしょう……。
すぐに持参した体温計を脇の下に差し込み、携帯用の血圧計を手首にはめて血圧を計ろうとするが、お爺さんが苦しくて身動きするので焦ってしまい上手くいかない。
お爺さんが、一人で水を飲むこともできず苦しんでいるのに、何故?お婆さんが放って置いたのか解らない?憤りの感情に打ちのめされるが、早急に何とかしなければならない。
来る途中で買ってきた冷たいリポビタンDを早く飲ませようとしても、ビンの飲み口が小さくて難しい。仕方がないのでゼリー状の栄養ドリンク「即効元気」を口に含ませる。
お爺さんは、ほとんど水も飲まして貰えず、余程、喉が渇いていたらしくて、酸欠の鯉が水面で口をパクパクさせるように必死で口を動かして飲もうとする。むせないようにお爺さんの首を持ち上げ、注意して何とか飲ませることができた。
どうして、お婆さんは介抱しないのだ。何で救急車を呼ばないのだ!年寄りだから仕方がないのか?理解できない。もう、手遅れかも知れない。どうしょう…。どうしようもない!
ピイーッと体温計が小さく鳴る音がしたので体温計をよく見ると、熱が39,5度もあるではないか。大変だ!大変だ!
お婆さんに急いで娘さんに電話するように指示した後、すぐ119番に電話した。
お婆さんにこの家の住所を聞きながら、電話口の交換手に住所を告げて救急車を呼ぶ。
「約7分後にそちらに向かうから、外で救急車を誘導して欲しい」と言う。
瀕死のお爺さんから一時も離れたくないが、救急車のピィーポー、ピィーポー、ピィーポーという甲高いサイレン音が近づいて来たので、家の外に飛び出た。
しばらくの間、自宅前の道路で待機する。ここは道がとても狭くて大きい車は入りづらい。到着した救急車は要領が悪くて、ハンドルを何度か切り返して、やっと自宅前に駐車することができた。
救急隊員は、新型コロナウイルス予防対策のためか?防護服のような服装で身を包んでマスクをしている。一時も猶予できない緊迫した状況だから、即座に室内に立ち入って来る。
「お爺さんの年齢、どうして具合が悪くなったのか?」と、救急隊員のリーダーがお婆さんに聞いている。
お婆さんは、耳が遠くて良く聞こえないから埒が明かない。私が、大きな声を出してお婆さんに聞いてから隊長に伝えた。
救急隊員が、急いでお爺さんの口に酸素マスクを着け、指先にパルスオキシメーターをはめて、血中酸素濃度と脈拍数を測っている。
お爺さんの持病と飲んでいる薬の名前を救急隊長に聞かれるが、お婆さんは詳しく答えられない。
「お爺さんの薬手帳がどこにあるの?」と、私がお婆さんに聞いても場所が解らないので、リビングルームの戸棚とお爺さんの部屋を探すが、どうしても見つからない……。
救急隊長は、仕方がないのでお爺さんの掛かりつけの病院をお婆さんから聞いてから連絡を取り、持病や投薬の確認をした。それからようやく、救急隊員二人で、お爺さんを担架に乗せて、まだ雨が強く降り続いている中、玄関前に駐車してある救急車に搬送した。
その時、私は、お爺さんの上半身裸の身体が、酷い雨で濡れてしまわないように気遣い、肌蹴た寝間着を被せてあげながら、一緒に救急車に乗り込んだ。寒さには比較的に強かったお爺さんだが、雨に濡れてさらに体調を壊してしまい、これ以上苦しんでは大変だ‼
私は以前、腎臓結石で七転八倒してもう死ぬかと思った時と、食中毒になってのたうち回って苦しんだ時、知人が脳梗塞で倒れて救急車に同乗した時の3回も救急車に乗った経験があるので、救急車に乗ること自体にはあまり動揺していない。
救急隊長が、無線のやり取りで搬送する病院の手配をするが、コロナ禍のせいか手間取り、すぐに出発してくれないのがもどかしい。緊迫した時間が急速に慌ただしく過ぎて行く。
救急車の車内で再度、救急隊長にお爺さんの生年月日を聞かれたが、お爺さんの酷く苦しむ様子に気が動転して間違えて伝えてしまった。
数分後、タクシーで急いで駆けつけて来た娘の敏子さんと、お婆さんが、救急車に乗り込んで来た。
初対面の敏子さんは、私が想像していたイメージとは随分異なっていた。母親似で少し痩せ気味、化粧品のセールスを担当しているという割には、あまり親近感が湧いて来ないのだ。今後、どこかの街角で出会っても、すぐには気が付かないかも知れない。
「田島さんが来てくれて、救急車を呼んでくれた」と、お婆さんが敏子さんに話している。
お婆さんはただ敏子さんに報告しただけのつもりかも知れないが、そんなにのんびりとした話ではない。敏子さんも私に頭を少し下げただけで、お爺さんの容態と経過について、私に何も聞こうとしない。こんな緊迫した状況だから仕方がないのかも知れないが、父親が大変な緊急事態だというのにあまり動揺している様子もないのが、私は腑に落ちなかった。
お婆さんがもっと早く看病して、通報していれば、こんな事態になるのを防げたはずだ。私は、お婆さんを非難する感情を払拭できないで困っている。
風雲、急を告げるのに、私は内心憤慨しているが、じっとして黙っていた。
「お爺さんは、海外渡航歴があるか?」
「基礎疾患があるか?」と、救急隊長が、敏子さんに聞いている。
「新型コロナウイルス感染者と接触があるか?」
その質問に、私はイラついて「ない!」と、つい口をはさんでしまった。
私は、救急車に設置してある機器の数値や心電図の波形が気になって、救急隊員に聞いた。
「数値は血液中の酸素量を表していて、今の数値は酸素量が不足している」と教えてくれた。
血圧の数値、脈拍、流れる心電図、上部にある点滅する緑色のランプの光が不安を煽る。
お爺さんの心臓が、いつ止まってしまうか?私は心配で冷静ではいられない。苦しむお爺さんを見ていると、病院への到着が非常に遅く感じられて、居ても立っても居られない。
お爺さんは、酸欠で苦しそうに身をよじり両手を上げて、まるで空気中の酸素を探して、酸素を掴もうとするように必死で宙を引っかいている。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫だから」と、私は何度も何度も声を掛けながら、お爺さんが長年にわたり苦労して来たことを示す皺だらけの手、少し冷たい指をしっかりと握りしめた。
「私が付いているから大丈夫」と、耳が遠いお爺さんの耳元に小声で強く語りかける。
お爺さんが苦しくて身動きするので、酸素投与するマスクが外れそうだ。まだ若い救急隊員が、手馴れていないのでやきもきする。私は、お爺さんの身体をそっと優しく、しっかりと抑え込んだ。
救急隊長が、状況を把握してから決めた最も近い大学病院へ向かって、やっと救急車を出発させた。何とか救急患者のたらい回しだけは逃れたようなので、良かったと思い安堵する。
ピィーポー、ピィーポー、ピィーポーと、救急車の甲高いサイレン音が鳴り響きわたり、街中を不安の空気に陥れる。病院到着までの時間が非常に長く感じられ、もどかしくて、私のイライラ感が、心電図の波形のように増幅している。
ようやく、病院に到着すると、お爺さんは、すぐ救急患者の入口から集中治療室(ICU)に救急搬送された。集中治療室には、新型コロナウイルス菌が外に漏れないように気圧を下げた陰圧室が設けられている。透明な厚いビニールカーテンで仕切られている空間の一角には、人工呼吸器が設置してある。新型コロナウイルスに感染した疑いがある場合は、感染防止のために患者は早急に集中治療室に隔離されてしまう。
それ以後、3人とも透明なカーテンの向こう側に移動され、集中治療室に隔離されているお爺さんとは、面会することが許されなかった。
その後、私たちは看護婦長に別の部屋に呼ばれて状況説明を受けた。
「今は呼吸困難なので、酸素マスクだけでは無理な場合は、喉に穴を開けて空気を送るチューブを挿入するかも知れない」と、告げられる。
そしてまた長い間、待合室で待たされ続けた……。
かなりの時間が過ぎてから、高齢のお婆さんに代わり、娘の敏子さんだけが、家族代表として呼ばれ、お爺さんの状態の説明を受けている。私は心配で、気が気でない……。
「レントゲン検査では、両方の肺が真っ白で心臓もかなり衰弱して、重篤で命が危険な状態だ」と、戻って来た敏子さんから知らされる。私は言葉を失って黙り込んでしまった………。
お婆さんはそれを聞いてもまるで他人事のように取り乱すこともなく、ただ黙って静かに椅子に腰掛けている。
今、お爺さんは麻酔で眠った状態なので、痛みからは解放されているのが、せめてもの救いだ。子供たちや身内への連絡とお爺さんの保険証などを探さなければならないので、取り敢えず自宅に戻ることにした。
新型コロナウイルスの影響か?バスの便が少なく、タクシーもすぐには捕まえることができない。私は病院の受付で聞いて来たタクシー会社の番号に携帯電話から掛けた。そして、しばらくしてやって来た黒いタクシーに3人で乗り込んだ。
「私は以前、この大学病院に掛かって通院したことがあるから、道は良く知っている」と、タクシーの車内で、敏子さんが母親に話している。
私は、お爺さんがもう助からないのではないか?と考えて、自ら暗い雰囲気に飲み込まれてしまい、会話の糸口を探すがなかなか見つからない。沈黙の空気に耐え切れず、私は車窓から雨に濡れた街並みを静かに眺めて、途方に暮れるしか仕方がなかった。
お爺さんの家の近くにあるセブンイレブン前でタクシーを止めた。敏子さんが料金を払おうとする。私は、走行中に後部座席からタクシー料金のメーターの動きをチラチラと見て、すでに用意して置いたタクシー代の3千円を手にしている。
「お爺さんには、大変お世話になったから、私が払います」と、言って無理矢理に支払った。
自宅に到着して、リビングルームに入る。慌てて駆け付けた時には気が動転して気づかなかったが、お爺さんが失禁して汚れた下着やズボンなどがそのまま放置してあった。それが気になって、私が処理して片付けようする。
「そこまでしなくていいから放っておいて!」と、お婆さんと敏子さんに止められてしまう。
私はヘルパーの資格があり、介護職の経験もあるから少しも苦にならないのに……。
敏子さんが、特に取り乱す訳でもなく落ち着いているのは、離婚してから一人で娘を育てた気丈さなのか?こんな時、男より女の方が落ち着いて動揺しないものなのか?私には良く理解できない……。
私は手持ち無沙汰で他にすることもなく、暗く湿った気まずい雰囲気には耐えられない。
「お爺さんに何か、もしものことがあったら、すぐに連絡して欲しい」
そう言って、敏子さんに名刺を渡して、取り敢えず車で帰宅することにした。
帰り際、玄関前に駐車してあったお爺さんの軽自動車が気になり、ボックスの中を見ると保険証と薬手帳が入っていた。それを敏子さんに手渡してから自車を発進させた。
私は、自分にとって「特別な人」の不幸を予知する力が、備わっているような気がする。何か危険を知らせる嫌な予感「虫の知らせ」というやつだ。私の母、田島菊乃の時もそうだった。仕事で出掛ける予定時間なのに、何故か?妙な胸騒ぎがして気が進まないでいると、突然、電話が鳴り、実家から母の死を知らされた。悪い予感が当たってしまったのだ。
昨夜、お爺さんが、苦しくて助けを求められない状況だったのに、何でもっと早く駆け付けなかったのか?という後悔の念が沸々と湧いてくる。普通に話すことができないくらい、さぞかし胸が苦しかったのだろう。そう考えると悔し涙が零れ落ちる。お爺さんが、死んでしまうのではないか?不安で胸が締め付けられる。虚ろな運転を繰り返し、どうにかこうにか自分の家に辿り着くことができた。その夜は心配で、心配で、ほとんど一睡も眠ることができなかった。
4月18日、土曜日の朝、携帯電話が鳴った。番号を見ると昨日、入力して置いた敏子さんの携帯からだ。不安に恐る恐る、電話に出る。
「お爺さんが昨夜8時頃、息を引き取った」と、敏子さんが告げる。
絶句……。涙が溢れ出て放心状態……。
慟哭!。嗚咽で震えが止まらない。
救急治療室に運ばれた後も意識を回復することもなく、家族にも看取られることもできなかった。死は無常だ。病院のベッドでひとり淋しく、蝋燭の炎のように命の火を静かに消して逝ったお爺さんが不憫でたまらない。
「遺体は、昨夜の内に自宅に運ばれて安置されている」と、敏子さんが言う。
コロナ禍で自宅に運んで本当に大丈夫だろうか?と思う。新型コロナウイルスに感染しているかも知れない状況なのに何故?と心配になる。もし新型コロナウイルスに感染していたら、そのままお爺さんの遺体は火葬されてしまい、自分の家に戻ることができなかっただろう。私は、それで良かったのかも知れないと考える。
「コロナ禍だから、家族だけで葬儀を行います」と、敏子さんから告げられる。
私は、家族葬に出られない……。私は家族でないので当然である。
所詮、人間は独りで生まれ、独りで死んで逝く。解っていてもその不安を打ち消すために、人との深い結び付きを願うのだ。別れの悲しみはとても深くて切ないものだ。愛が深ければ深いほど、それが奪われた時に人は苦しむ。
私は、少し冷静さを取り戻したが、涙は流れ続けて止まらなかった。
「PCR検査は行うのですか?」と、敏子さんに聞いた。
「保健所は、土日が休みだから検査はしないらしい」と敏子さんの返答。
何故なんだ?お爺さんが、あれほど急激に重症化して死んでしまったのだから、当然、PCR検査をしなければならないはずだ。
今、日本ではPCR検査が、そう簡単にできない難しい状況だと思う。だが、お爺さんのせきや発熱など、急速な病状変化は、新型コロナウイルス感染によって免疫が暴走して重症化したとしか思えない。
本当にあの病院は、お爺さんに最新のエクモ(体外式膜型人工肺)などの最善の治療をしてくれたのだろうか?と、疑問に思う。
あの激しい苦しみ様は『絶対に新型コロナウイルス感染に間違いない』と、私は考える。
もし、そうだとしたら感染源は、一体どこ何だろうか?解らない?
密閉、密集、密接の3密と不要不急の外出をなるべく避け、お爺さんと二人で出掛ける時は必ずマスクをさせ、帰宅したら手洗いをするようにお互い注意していたはずなのに……。
「西村経済担当大臣が、熱もなく新型コロナウイルス感染の疑いが全くないのに、いち早くPCR検査をした」という。政治家は特別で、高級国民だとでも言うのか?
「官僚である自分だけが助かりたいのか、ふざけるな!」と、言いたい。誰でもすぐにPCR検査が受けられる訳でなく、路上で死亡した人を後で検査した結果、新型コロナウイルスに感染していて陽性だと判明するケースもある状況なのに!
お爺さんは、月曜日にPCR検査する予定だったが、金曜日の夜に死亡したので、PCR検査はしなかった。それはどう考えてもおかしいから納得がいかない。
今、病院や保健所が大変な状況であるに違いないが、お爺さんをPCR検査して、正確な死因を調べて統計に加えるべきなのに、明らかに行政の責任放棄だとしか思えない。
PCR検査をしないとお爺さんは、新型コロナウイルス感染の「隠れ死亡者」になってしまうだろう。もしPCR検査の結果が陽性で、新型コロナウイルスに感染していたとしたら、私とお婆さんは濃厚接触者だ。でも、いつ、どこで、だれと?市中感染か?どう考えても感染経路は全く不明瞭なのである。
どこかの山から飛んで来た目に見えないスギ花粉みたいに、新型コロナウイルスに突然、飛沫感染した?とでもいうのか、私はあり得ない恐怖に慄いた。
家族の事情、プライバシー保護の観点から、検査をしない方が良かったのかも知れない。
後でよくよく考えると、新型コロナウイルス感染者の家族と濃厚接触者は、周辺から偏見や差別を受けるかも知れないので、そう思えるようになった。
「もうタバコをやめる」とあの時、自分から電話口で言ったのは、肺が息苦しくて呼吸困難だったからに違いない。かわいそうなお爺さん……。
私がお爺さんと同居していれば助けてやれたかも知れないと、思うと切なくて情けない。人と別れる虚しさ、もう逢えない寂しさ悲しさに打ちのめされてしまう。本当に辛い……。
今になって考えると、お爺さんの大好きだった冷えたゼリー状のドリンク「即効元気」が、最後の「死に水」となってしまった。私が冷静に落ち着いて、もっとたくさん水を飲ませて上げれば良かったと後悔する。
あの時、お爺さんは意識朦朧の状態で、果たして私に気づいてくれたのだろうか?恐らく私と認識できる状態ではなかっただろうと思うと、様々な後悔の念が胸に充満する。
お爺さんは、近所の家から草刈りを頼まれていたので、私と一緒にホームセンターへ行き、新しい草刈り機を買い、園芸コーナーで、キュウリやトマトの苗を購入した。
具合が悪くなる日の早朝から、草刈りを終わらせて、自分の畑にキュウリやトマト植えて、とても元気だったそうなのに何で……。どうして……。
『新型コロナウイルスに感染する?』よりも、畑仕事をしていて破傷風にでもなってしまった方が、まだ助かったような気がする。
お爺さんは、糖尿病などの基礎疾患もなく心臓も特に悪くない。私よりも、ずっと調子が良かった。それなのにどうしてだろうか?やはり高齢者で喫煙者、タバコを吸うと咳が出る呼吸障害、慢性肺疾患と高血圧のリスクを負っていたのが悪かったのか?
「新型コロナウイルスは、初期の段階でウイルスの増殖を免疫や薬の力で止められれば重症化は防げる」といっても、突然、全身の状態が悪化して多臓器不全を起こしてしまったら手の打ちようがなかった。
「新型コロナウイルスは発症から1週間程度で重症化、10日目以降に容体が急変する」と、言われている。それなのに肺炎を起こして心臓が弱ってしまい、たった2日で呆気なく死んでしまうなんて!今でも到底信じられない……。
お爺さんの突然死の正式な死亡証明書は、私は家族でないから見せて貰えない。
人間、年を取って肺炎で死ぬのが一番怖い。死亡者の98%は65歳以上。60歳過ぎの人に肺の生活習慣病が急増しているらしい。
自宅や路上で死亡し、後で新型コロナウイルス感染が解った人に、脳梗塞や心筋梗塞、肺塞栓症による突然死の可能性があるという。
新型コロナウイルスが大流行だから「密葬」で、もうお爺さんのお骨とも会えないかも知れない……。
茫然自失……、何もせず、ただ無闇に過ぎ去る時間を、激しく込み上げて来る悲しみの涙で濡らし続けるしかないのだ。自粛生活で、どこへも外出せずに独り巣ごもりしている。
幸せとは意識しない事、幸せとは何か?を意識した瞬間に壊れてしまうもの。何も考えずに普通に生活して、自然に流れ過ぎる時の経過にあぐらをかいている安易な日常生活が幸せなのだ。
……不意に香典のことに気が付く。「家族葬」なので、葬儀への参加は無理だとしても、お爺さんにお世話になった感謝の気持ちから、せめてお礼に香典くらい届けなければいけない。花くらい捧げなければならないと気が付いた。
玄関口で香典を家族に渡して、すぐに帰ってくればいいのだと、思い付く。しかし、お爺さんの恩義に対して、一体いくら包んだらいいのだろうか?10万円が多いのか?5万円が少ないのか?今の私には感謝の値段と重さが解らない。仮に100万円出せたとしても全て家族のものになり、現実的にお爺さんが喜ぶ訳ではない。
「そんなに出さなくてもいいから、何もいらないよ」と、きっとお爺さんは、笑って言うに決まっている。
政府は、新型コロナウイルス対策として国民一人当たり10万円の特別定額給付金を5月中に給付する予定だという。
「政府はどんどんお金を印刷して、国民にみんなに配ればいい」と、言っていたお爺さんが、もう少し長く生きていられたら、10万円のお金が貰えたかも知れないのに残念だ……。
4月19日、日曜日の午後。悲しいが、お爺さんの死後も永遠にご縁が続きますようにと願い、感謝とありがとうの思いを込めた心と5万円を入れた香典袋を持って、お爺さんの家へ車で出掛けた。
今日はあの日のように強い雨は降らないが、天気が愚図ついて、私の心のように空は灰色の曇にすっぽりと覆われていて湿った空気に満ちている。
自宅の周辺に見覚えのない車が数台止まっている。恐らく家族と親族の車だろう?自宅から少し離れた道路の空間を探して車を止め、通い慣れた家の玄関ブザーを鳴らして中に入る。
家のリビングルームとお婆さんの部屋の狭い空間に15人位の人たちが、喪服ではなく普段着で誰ひとりとしてマスクもしないで集まっていた。緊急事態だから仕方がないのかも知れないが、何故か?違和感を覚える。私は、新型コロナウイルス感染を心配してマスクを着用し、喪服ではないが、せめて黒っぽい服装をして出掛けたのだった。
「一日葬」で、お通夜も行わないという。私は頭を下げてささやかな挨拶を済ませ、香典を渡してすぐ帰るつもりだった。でも、お爺さんが私を、玄関から部屋の奥へと導いてくれたのだろう。家の中にお邪魔して、お爺さんの部屋に無言で横たわっていたお爺さんと対面する。私は号泣して、白い布を被せてあるお爺さんの顔をすぐに拝むことができない……。
何でみんな泣いていないのだろう?部屋の中は暗い「死」とは異質な、妙に明るい空気が漂っている。
家族の悲しみの渦の中に、身内でない私が独りで入り込んで行くことに気兼ねしていたのに……。何故?
そう言えば「お爺さんとお婆さんは、いつも仲が良くていいねえ〜」と、私が言うと、
「うちは夫婦といっても赤の他人、お金は夫婦別々だ」と、お爺さんは言っていた。まさか疑似夫婦、疑似家族じゃああるまいし……。
お金か、義理か、名誉か、人生の最後まで手放してはいけないもの。年老いても大切にすべきものは家族か、誠実さか、愛か、何だろう?
私だけ身悶えして、みっともない程、泣き崩れているのは何故なんだ?血の繋がらない赤の他人同志でも、男同士の絆がもたらす情念の悲しい涙が溢れ、流れて止まらない。
この部屋の状況は、まるで誰かのお祝い事に一族みんなが久しぶりに集まって賑わっているみたいだ。その楽しそうな雰囲気はとても不自然だ。悲しみをあえて笑いで打ち消そうとしているとはとても思えない。悲しみに打ちひしがれる空気が、全然感じられない。家族って何?夫婦って何だろう?
「お爺さんが、どれだけみんなに好かれたか!」と、私はそこにいる全員に涙声で訴えた。私の知り合いみんなが、親切で愛嬌のあるお爺さんに好意を寄せていたのだ。
「お爺さんが、私を助けてくれたのに、私はお爺さんを助けてやることができなかった」と、家族に詫び、口惜しさに奥歯を噛みしめ、右腕で溢れる涙をぬぐい去った。
最後は声が震えて言葉にならなかった。激しく泣きじゃくり嗚咽する初めて見る知らない男に親族たちはみんな、恐らく違和感を抱いたと思う。
「人の死」というものが何か?何も知らないで「お爺さんは今、ただ眠っているだけ」と、祭りの時のように元気に騒いでいた幼い子供たちでさえ、キョトンとした顔をしている。
「久しぶりの親族の団欒を台無しにした男の人は誰?」というような不思議な視線に、私は囲まれていた。
その暗い澱んだ空気の中、震える手で線香を上げる。お爺さんの枕元、日に焼けた畳の上に直に置かれた線香立てが質素で慎ましくて、とても淋しい気がする。
焼香を済ませると、線香の白い煙がゆらりゆらりとゆっくり静かに舞い上がって行く。悲しみと共に香ばしい線香のきつい匂いが、薄暗い六畳間の部屋にゆっくりと流れて、充満して行く……。
私は、お爺さんの冷たく血の気のない顔だが、安らかな寝顔に両手でそっと触れた。
「本当にありがとう」と、ごく自然につぶやいた。
畳から立ち上がる時、腰の痛みで一瞬よろめいた。香典袋とお爺さんと二人で写っている展示会での記念写真を敏子さんに手渡して、その場をふらつきながら離れ過ぎようとした。
「お蔭様で綺麗な顔をしています」と、部屋から離れる時に聞こえた妙に明るく乾いた声、初めて対面したお爺さんの長男、光春の言葉が悲しみに動揺する私の背中に突き刺さる。
光春さんが役所勤めしているせいか?とても事務的な言葉に聞こえてしまうのは、私がお爺さんの「死」を受け入れらない気持ちが強いからだろうか?例えお爺さんの自慢の息子の言葉であっても、私は素直な気持ちで聞き入れることができないのだ。
「顔なんか汚れていても、汚くてもいいから、もっと長く生きていて欲しかった」
私のその切ない気持ちは、恐らくここに居るみんなには伝わらないだろう。今、お爺さんの「突然死」に対する思いは、誰ひとり一滴の涙も流していない家族や親族たちとは共有することができない感覚で、到底納得できそうもないのだ 。
ブー、ブー、ブーと玄関のチャイムが鳴る。葬儀屋の車が来たらしい。コロナ禍なので、人目を避けて普通の葬式も開けない「1日葬」は淋しい。
私も親族数人と一緒に玄関の外に出る。すると小太りの男が私に近寄り、頭を下げて挨拶をして来た。
「次男の方ですか?」と、私は見当をつけて言った。思ったより人相の悪くない顔をした男は、私の顔を見て、笑顔を浮かべるようにはにかんだ表情で「そうです」と親しげに答えた。3人の子供たちは、いずれも母親似でお爺さんにはちっとも似ていない。
「次男の孝春が離婚して再婚。お爺さんと金銭的なトラブルがあり、確執がまだ残っている」
お爺さんからそう聞かされていたので、私は戸惑い、不肖の息子を警戒して、私ともっと話をしたい様な素振りだった孝春から、すぐに身を引き離れてしまった。
家族でない私は、これ以上邪魔をしてはいけないと思い、残念ながらお爺さんが、霊柩車で葬儀場に運ばれていくのを見送ることもできず、お暇する。これが本当に最後の別れになって、もう逢えないと思うと辛くて悲しい……。
26/08/18 20:04更新 / 河志摩 運
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