「レイクエム1」 A自粛生活
『自粛生活』
私はずっと家に引き篭り、気分転換もできずに滅入ってしまい、つまらない日常生活を過ごしている。これがコロナ渦以前の「普通の日常」とはどうしても思えない。
お爺さんにはいろんなことで随分とお世話になった。数え上げたら切りがない。高齢なのに私の世話ばかりか、腰の悪い私に代わって犬の世話や散歩までしてくれていたのだ。
昨年暮れ、長年にわたり痛めていた腰が悪化して、ついに歩行困難になり、日常生活にも支障をきたすようになったから、思い切って腰の手術をした。今、私の腰には4本のチタン合金のボルトが埋め込まれている。
私が腰の大手術を受けている6時間もの間、お爺さんが、病院待合室の椅子に一人で座り、ずっと待っていてくれたことを私は一生忘れない。身内のいない私には、まさに父親のような存在だった。
入院時も毎日、見舞いに訪れ、時おり小雪が舞うみぞれ雨の寒い日にも来てくれたのだ。
「大変だし車だと危ないから、毎日、毎日、見舞いに来てくれなくてもいいよ!」と、私が病院の白いベッドに寝ながら言っても、突然、お婆さんを連れて見舞いに現れたりした。
手術から10日後の退院日、お爺さんが、自分の軽自動車で迎えに来てくれた。高齢のお爺さんに運転させるのが大変申し訳なくて、感謝の気持ちで胸がいっぱいだ。
お爺さんの家に到着すると、大工のお爺さんが新しく作ってくれた犬小屋から、お爺さんに預けていた黒い柴犬の愛犬クロが私を見つけると勢いよく飛び出して来て、嬉しくて尻尾を強く振りながら、私の足元に飛び付き絡み付いて来る。
私はせめてものお礼にとお爺さんとお婆さんを昼食に誘ってご馳走するつもりだった。お爺さんの家に入ると、お婆さんが退院祝いに赤飯を焚いて待っていてくれたのには、本当に驚いてしまった。
すでに両親と兄弟とも他界して、独り身の私は、本当に有難く思って、感謝の気持ちで胸が重く熱くなった。後悔って何だろうか?大切なものを失い、気が付いた時にはもう遅い、心の漂流だ。
いつものように掃除や草むしりをする。お爺さんと一緒に食事をしたら、洗い物をしてくれる。先に私が洗おうとすると「わしが後でするから」と拒否する。
お爺さんが、私の家に泊まった朝は決まって、ホットコーヒーと4ツ切りの厚い食パンにマーガリンを塗り、砂糖を少しまぶしてからトースターで焼いて食べる。
私は、痛み止めの薬のせいか?胃の調子があまり良くないので、朝食はコーヒー牛乳だけしか飲めない。
お爺さんが、勿体ないからとヨーグルトの蓋をきれいに嘗めている。私の母もそうだった。
「贅沢は敵」という戦時や戦後の食糧難を経験し、昭和の貧しい時代に食べ物を大事にしていた意識からだろうと、そんな風に思いながら微笑ましく食事の時間を過ごしていた。
今年で戦後75年を迎えるが、戦争の体験者は90歳以上の高齢者だから皆寿命が来て、年々少なくなる一方だ。終戦の年、お爺さんはまだ13歳だった。長野の田舎の村でも戦争による食糧難だったに違いないと思う。
今、ここにお爺さんの話声はなく、日常生活でお爺さんが発する音や空気が感じられない。ただ空白の時が佇んでいるだけ……。
お爺さんと一緒に食べた食事の味は、孤食では味わえず、何を食べても全然美味しくない。だから、炊飯器でご飯を炊くこともなくなった。亡くなった昔の職人さんの農家から、お爺さんが購入して持って来てくれた新米が残り少なくなってもそのままにしてある。食事をしながら会話を楽しみ、気楽に心を繋げられる大切な人を無くした損失はとても大きい。
二人で過ごした何気ない楽しいひと時が、走馬灯のように次々と頭の中を駆け巡る。
「お願いだからタバコをやめて」と、私が言うと、ゴホン、ゴホン、ゴホンと咳が出て来る。
何も咳までしてタバコを吸わなくてもいいと思うが、お爺さんはお酒を飲まないので、唯一の楽しみであるタバコは、何度か禁煙を試みてもすぐには止められそうもないようだ。
タバコは依存性があり、身体に良くないからできれば止めて欲しいと思う。
「わしは大丈夫、この年まで病気ひとつしたことがないから、まだ死ぬことはない」と、お爺さんはいつも明るく笑い飛ばしていた……。
「タバコを吸うと鼻毛が伸びるよ」と、いつも私がからかう。
お爺さんは、いつも台所にあるテーブルへ向かい、換気扇を回してから、静かに椅子へ腰かけて、うまそうにタバコを燻らす……。
「俺のあん娘は たばこが好きで いつも プカ プカ プカ〜」
『プカ プカ』俳優、原田芳雄が歌う歌詞が浮かんで来るので、つい口ずさむ。私にとって、歌はいつも人生の調味料となる。
「体に悪いからよしなっていっても いつも プカ プカ プカ〜」
お願いだから、健康に悪いタバコの回数を少し減らして!と思う。
「遠い空から降ってくるって言う 倖せってやつがあたいにわかるまで」
空から幸せが降って来る前に、遠い空の彼方に逝ってしまったお爺さん。
「あたい たばこやめないは プカ プカ プカ〜」
せめて新型コロナウイルスが流行している間だけでも、タバコをやめてと哀願する。
「そんなに多く吸うわけではない。ただふかすだけだ」と、メビウスの弱いロングタバコ1本を半分に分け、ゆっくりとうまそうに吸って、半分吸い終わると、短くて太い指で灰皿に押し消す。
お爺さんが死んでしまってから心が痛んで、ずっと睡眠不足が続いている。
「わしが泊まると気を使って睡眠不足になるだろう」と、言って心配してくれていた。
お爺さんは本当に良く眠る。いつ、どこでもすぐ眠れることを自慢していた。夜中に大きな地震が来ても起きないらしい。耳が遠いせいもあるのか?熟睡できる。早く寝て、早く起きる。それが健康の秘訣、長生きの元であると本人も自覚している。
だが、やはり年齢は隠せない。畑仕事をしていて、木などに身体のどこかをぶつけると、そこの皮膚がすぐ紫色に変色してアザになる老人特有の兆候があった。
「年を考え、無理をしないで気を付けて」と、私は心配して冗談のようにわざと、年を強調して明るく言う。
「わしはメガネがいらないから、まだまだ若い」と、笑いながら反論する。
驚いたことにお爺さんもお婆さんもまだ、老眼鏡が要らないのだ。私はすでに老眼で、左目に軽い白内障がある。だからいつも老眼鏡を着用している私を「四つ目」だといってからかい返して、お爺さんは優しく笑う。
お爺さんは眼が良いが、大工仕事で耳を悪くしてから良く聞こえない。いつも使用している補聴器の調子が良くないので、誕生日に補聴器をプレゼントすると、とても喜んでくれた。
お爺さんが、補聴器を使用しない時、私はいつも耳元で大きな声で話し掛ける癖がついてしまう。年配の人や耳が良く聞こえる老人にも、つい耳元で大きな声で話し掛けてしまって、
「聞こえるから!」と叱られて苦笑したことが時々あった。
お爺さんは、年寄りにしては驚くほど身体が柔らかい。
「わしは丈夫だからと寝ながら短い両足を高く上げ、素早く交互に動かして見せる」
88歳という高齢なのに、そのあまりに身軽な動作が可笑しくて、つい笑ってしまうが、私はいつも感嘆、羨望の気持ちに陥ってしまう。お爺さんより20歳も若くても、腰が悪い私には到底マネができそうもないからだ。
私たちは、近所や仕事関係の人によく親子と間違えられた。いつも一緒に出掛けるし、20歳も年が離れているから、そう見られても仕方がない。最初のうちは否定していたが、しまいには説明するのが面倒くさくなって親子で通していた。お互いに強情で頑固な一面もあったが、一度も喧嘩したこともなく、実際、親子以上に仲が良かった。
お爺さんは若い時に、車を衝突される交通事故で重傷を負い、右肩に金属が入っている。その後遺症で右肩が時々痛むのだが、車の運転も問題なく上手に運転していた。
「90歳まで、まだ免許返納はしない」と、次の免許更新に備えて、認知症機能検査の高齢者ドライバー脳活ドリルのムックまで購入して、私に見せてくれていたのに……。
「年寄りみんなが悪く見られるから嫌だ」と、テレビで旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三(89歳)が起こした池袋の自動車事故、母子二人が死亡した悲惨な交通事故の映像が、テレビに放映される度にお爺さんはつぶやいていた。
お爺さんは健康に自信を持っていたので「年寄りだ」と、言われることを毛嫌いしていた。4月初旬、まだ寒さは続いていた。お爺さんはいつも半袖シャツの薄着で私を心配させた。
何故なら2年前の冬、新型コロナウイルスが流行する以前に寒さに強いはずのお爺さんが、一度だけ風邪を引いて寝込んだことがあったからだ。
「もうすぐ暖かくなるから、ストーブの灯油は買わなくてもいいよ」と、言っていたのに、お爺さんは寒がりの私を気遣って18リットルの灯油を買って来てくれた。
「さすがに若い頃とは違い、筋肉の衰え、老いを意識した」
その灯油缶が重荷に感じられたと少し恥ずかし気に打ち明けたお爺さん。手足がいつも冷たいが、それは体質だと言い張る。血圧は少し高めで、血圧を下げる薬を飲んでいるが、それ以外、特に身体のどこも悪い所はなく、健康そのものなのだ。
人生100年時代と言われる。健康なお爺さんは100歳まで生きていても不思議でないし、私もそう思っていたのだ……。まさか突然、私より先に死ぬなんて思いもよらなかった。
「お爺さんより若い私の方が先に死ぬかも知れない」と、心配してくれた。私もそう感じる。お爺さん不在の重みがひしひしと感じられ、数々の思い出や、心の触れ合いを思い出すと愛おしくて涙が自然に出てくる。いつまでもどこまでも、悔やまれてならない……。
「病に倒れる前日に、私が一緒に居てやれば助けられたかも知れない」と思うと、悔しくて熱い涙がポトリと零れ落ちた。
「神様は、試練に耐えられる者にしか、試練を与えない」という。
今の私にはこの悲しみの試練に耐え切れず、乗り越えられそうもない。
人の命なんて、いつ失われてしまうか?解らない。産まれてすぐに死んでしまう赤ちゃん。10歳で思わぬ交通事故に遭って死ぬ子供、40歳でガンを患い早死にしてしまう大人、10 0歳まで長生きして老衰で亡くなる老人。人はあらかじめ決められた運命、人それぞれの運命に導かれながら生きているのかも知れない。もし、人が死ぬまでの時間の長さが決定されているとしたならば、死ぬまでの残された時間をいかに生きるか?が重要だ。死んで骨になって埋葬されてからでは、名声を残せる場合もあるが、現実には何も残らない。肉体に血が宿る間に生きている意味、意義を探し出さなければ人生は味気ないものになってしまう。
朝、身体と腰の辛い痛みで目覚める。腰の手術は一応、成功しているらしいが、腰に4本のボルト、硬い異物が混入しているのだ。身体が拒否反応しても当然のことだと思う。コロナ渦では、新型コロナウイルス感染が心配で、リハビリセンターへも満足に通えない。
全体が捉えられないバラバラな意識感覚で、ぼんやりとしながら硬直した手を見つめる。強張った手の指をゆっくりと動かすと、徐々に心の痛みもむっくりと起き上がって来る。
人生100年まで生きられて、腰に入れたボルトと同じように頭に人工知能を入れることができれば、悩み事や孤独感とはサヨウナラできるのかも知れない。
ぐっすり眠れる爽やかな朝は、ここ数年間、忘れてしまっている。真夜中、怖い夢を見て魘され、汗びっしょりになって起きる。時々、金縛りにもなることもある。寝返りを打っただけで足が攣ってしまい、夜中に足が痛くて目覚めることもある。
今まで気にならなかった小さな音まで、気になり始めて良く眠れない。ストレスが溜まり不眠症になってしまったので、睡眠薬の服用も考える。
若い時には恋愛や仕事、人生の生き方について悩み、眠り薬を飲んだこともあるが、酷い頭痛を伴ったので、私に睡眠薬は合わなかった。ノイローゼ状態になり「死」を考えた事もあったが、幸いにも自殺するまでには至らなかった。
しばらくの間、玄関から一歩も出ず、どこへも出掛けない日々が過ぎた。私にとって大切な人、誰からも好かれた友人を失った悲しみは言葉にできない……。何もしたくない、何もできない虚ろな日々……。
私は話好きだと、よく人から言われるが、何日も人と会話していないことに気づいて愕然とする。新型コロナウイルス感染予防の意味もあってずっと家に引き籠り状態だから仕方がないのだ。
お爺さんの死の訃報は『新型コロナウイルス感染死』の疑いがあるから、まだ誰にも伝言していないし、みんなが見えない恐怖に慄いているから、そう簡単に話せるような状況ではない。誰か親しい友人にこの苦境を話せば、いくらか気が楽になるかも知れないが、今はまだ、私の胸にそっと仕舞って置くしかないのだ。
コロナ自粛で人とのつまらないおしゃべりを控えることが、ストレスになって鬱状態に陥っていたのだ。くだらない日常会話によってストレスを発散することができるという重要性に改めて気が付いた。もともと家族団欒生活とは縁遠く、独身生活に長く慣れ親しんで来たので、精神的に強かったはずなのに……。心に穴が開き、空気が抜けてしまった風船みたいに気持ちがしぼんで、何もやる気が起こらない。
お爺さんが、そばにいただけで心が安らいだことに気づかず、現実に居なくなってから、いかに大切な存在であったか、何も言わずに分かり合える深い絆を、改めて思い知らされた。独り身の哀しさが、粉雪のように冷たく心に降り積もる。
「新しい熱い湯はあまり年寄りの健康に良くない」と言われているので、お爺さんが泊まった夜、お風呂はいつも私が先に入る。実はお爺さんより先にお風呂に入るもう一つの理由、訳がある。
お風呂の残り湯を抜く時、最後の水がズズッーと音を立てて吸い込まれ消えていく。その音と一緒に自分の身体も吸い込まれてしまうのではないか?という恐れ、空想を子供の頃から抱いていた。自分という存在が失われる恐怖感を大人になっても感じてしまう。喪失感の心理的不安がトラウマとなって残っているのだ。
その感情が嫌いだから、なるべくお爺さんにお風呂のお湯を落としてもらうのだ。
お爺さんはそんな私の深層心理も知らず、ゆっくりとお湯に浸かり、気持ち良さそうに湯気に包まれた後、いつも綺麗にお風呂を掃除してくれていたのだ。
お爺さんがお風呂に入る時、そんなにお湯がぬるい訳でもないのに、お湯が冷めるからといって、必ず浴槽の蓋をして、顔だけ突き出して入浴する癖がある。その姿を見ると面白くて、つい笑ってしまうのだ。だから私は、お湯がぬるくなると悪いので、いつも熱い湯に入っていた。もっとも寒がりの私は、熱い湯でないとちっともお風呂に入った気がしないのだ。
今でもお風呂に入る時、お爺さんが湯船に蓋をして、顔だけちょこんと出して入浴している場面が思い出されて来て、じっと黙浴している……。
お爺さんは、声が少しかすれていて声が良く出ないから、カラオケでもあまり歌を歌おうとしない。それでも時々、湯船に浸りながら懐メロを口ずさんでいた。
お爺さんが居なくなった部屋に、ただ一つ残されていた悲しいギター。お爺さんが若い時に独学でギターを練習していたから、古賀メロディーの演歌が好きだったようだ。
「まぼろしの 影を慕いて」
「雨に 日に」
「月にやるせぬ わが想い」
「つつめば燃ゆる 胸の火に…」
藤山一郎の『影を慕いて』とても切なくて、人恋しくなってしまう哀愁のメロディ。
新型コロナウイルスによって、骨董市や盆栽市の仕事もなくなって、生活が不安定になり、今まで通りの「普通の日常」」が剥奪された。
あいさつ程度で付き合いのない近所の家々では、コロナ自粛生活か?自宅にいる時間が増えるから、普段したことのない家事や日曜大工をしている。
今まで手入れなどしたことがない庭に、突然、穴を掘って野菜の苗を植える若い夫婦の姿は、どこか不自然で滑稽でもある。
コロナ自粛で自宅にいる時間が多いから、男が家庭の仕事をさせられて、思わぬ好評価を得たりする。時間を持て余すから掃除や片付けをして要らない物を思い切って捨てる。古着などの家庭ゴミが大量に出て、増え続けるから市町村のゴミが焼却許容量を超えてしまう。
「断捨離」で出て来た思わぬブランド品や骨董品を売り払って、生活の資金の足しにする人もいる。コロナ渦によって様々な社会現象が、継続して起きているようだ。
最近、マスクをしながら散歩する人が目立って増えた。中国では犬にマスクをさせて散歩する映像や一度に数枚のマスクを重ねて装着する中国人男性の姿がテレビで放映されるが、何故か?素直に笑えないのだ。
一方でマスクを着けない人を警棒で叩き、警官が検挙する。感染源の武漢は閉鎖されて、人々の姿が街から消えてしまった。
スーパーの買い物客も以前より疎らで、人と人との距離が感じられる。ソーシャルディスタンスの効果か?新型コロナウイルスの影響で、テレビを見ても再放送番組が多くてテレワークの映像が目立つ。その見慣れない光景がとても不自然に見えて、ちっとも面白くなくて笑えそうもない。
私はずっと家に引き篭り、気分転換もできずに滅入ってしまい、つまらない日常生活を過ごしている。これがコロナ渦以前の「普通の日常」とはどうしても思えない。
お爺さんにはいろんなことで随分とお世話になった。数え上げたら切りがない。高齢なのに私の世話ばかりか、腰の悪い私に代わって犬の世話や散歩までしてくれていたのだ。
昨年暮れ、長年にわたり痛めていた腰が悪化して、ついに歩行困難になり、日常生活にも支障をきたすようになったから、思い切って腰の手術をした。今、私の腰には4本のチタン合金のボルトが埋め込まれている。
私が腰の大手術を受けている6時間もの間、お爺さんが、病院待合室の椅子に一人で座り、ずっと待っていてくれたことを私は一生忘れない。身内のいない私には、まさに父親のような存在だった。
入院時も毎日、見舞いに訪れ、時おり小雪が舞うみぞれ雨の寒い日にも来てくれたのだ。
「大変だし車だと危ないから、毎日、毎日、見舞いに来てくれなくてもいいよ!」と、私が病院の白いベッドに寝ながら言っても、突然、お婆さんを連れて見舞いに現れたりした。
手術から10日後の退院日、お爺さんが、自分の軽自動車で迎えに来てくれた。高齢のお爺さんに運転させるのが大変申し訳なくて、感謝の気持ちで胸がいっぱいだ。
お爺さんの家に到着すると、大工のお爺さんが新しく作ってくれた犬小屋から、お爺さんに預けていた黒い柴犬の愛犬クロが私を見つけると勢いよく飛び出して来て、嬉しくて尻尾を強く振りながら、私の足元に飛び付き絡み付いて来る。
私はせめてものお礼にとお爺さんとお婆さんを昼食に誘ってご馳走するつもりだった。お爺さんの家に入ると、お婆さんが退院祝いに赤飯を焚いて待っていてくれたのには、本当に驚いてしまった。
すでに両親と兄弟とも他界して、独り身の私は、本当に有難く思って、感謝の気持ちで胸が重く熱くなった。後悔って何だろうか?大切なものを失い、気が付いた時にはもう遅い、心の漂流だ。
いつものように掃除や草むしりをする。お爺さんと一緒に食事をしたら、洗い物をしてくれる。先に私が洗おうとすると「わしが後でするから」と拒否する。
お爺さんが、私の家に泊まった朝は決まって、ホットコーヒーと4ツ切りの厚い食パンにマーガリンを塗り、砂糖を少しまぶしてからトースターで焼いて食べる。
私は、痛み止めの薬のせいか?胃の調子があまり良くないので、朝食はコーヒー牛乳だけしか飲めない。
お爺さんが、勿体ないからとヨーグルトの蓋をきれいに嘗めている。私の母もそうだった。
「贅沢は敵」という戦時や戦後の食糧難を経験し、昭和の貧しい時代に食べ物を大事にしていた意識からだろうと、そんな風に思いながら微笑ましく食事の時間を過ごしていた。
今年で戦後75年を迎えるが、戦争の体験者は90歳以上の高齢者だから皆寿命が来て、年々少なくなる一方だ。終戦の年、お爺さんはまだ13歳だった。長野の田舎の村でも戦争による食糧難だったに違いないと思う。
今、ここにお爺さんの話声はなく、日常生活でお爺さんが発する音や空気が感じられない。ただ空白の時が佇んでいるだけ……。
お爺さんと一緒に食べた食事の味は、孤食では味わえず、何を食べても全然美味しくない。だから、炊飯器でご飯を炊くこともなくなった。亡くなった昔の職人さんの農家から、お爺さんが購入して持って来てくれた新米が残り少なくなってもそのままにしてある。食事をしながら会話を楽しみ、気楽に心を繋げられる大切な人を無くした損失はとても大きい。
二人で過ごした何気ない楽しいひと時が、走馬灯のように次々と頭の中を駆け巡る。
「お願いだからタバコをやめて」と、私が言うと、ゴホン、ゴホン、ゴホンと咳が出て来る。
何も咳までしてタバコを吸わなくてもいいと思うが、お爺さんはお酒を飲まないので、唯一の楽しみであるタバコは、何度か禁煙を試みてもすぐには止められそうもないようだ。
タバコは依存性があり、身体に良くないからできれば止めて欲しいと思う。
「わしは大丈夫、この年まで病気ひとつしたことがないから、まだ死ぬことはない」と、お爺さんはいつも明るく笑い飛ばしていた……。
「タバコを吸うと鼻毛が伸びるよ」と、いつも私がからかう。
お爺さんは、いつも台所にあるテーブルへ向かい、換気扇を回してから、静かに椅子へ腰かけて、うまそうにタバコを燻らす……。
「俺のあん娘は たばこが好きで いつも プカ プカ プカ〜」
『プカ プカ』俳優、原田芳雄が歌う歌詞が浮かんで来るので、つい口ずさむ。私にとって、歌はいつも人生の調味料となる。
「体に悪いからよしなっていっても いつも プカ プカ プカ〜」
お願いだから、健康に悪いタバコの回数を少し減らして!と思う。
「遠い空から降ってくるって言う 倖せってやつがあたいにわかるまで」
空から幸せが降って来る前に、遠い空の彼方に逝ってしまったお爺さん。
「あたい たばこやめないは プカ プカ プカ〜」
せめて新型コロナウイルスが流行している間だけでも、タバコをやめてと哀願する。
「そんなに多く吸うわけではない。ただふかすだけだ」と、メビウスの弱いロングタバコ1本を半分に分け、ゆっくりとうまそうに吸って、半分吸い終わると、短くて太い指で灰皿に押し消す。
お爺さんが死んでしまってから心が痛んで、ずっと睡眠不足が続いている。
「わしが泊まると気を使って睡眠不足になるだろう」と、言って心配してくれていた。
お爺さんは本当に良く眠る。いつ、どこでもすぐ眠れることを自慢していた。夜中に大きな地震が来ても起きないらしい。耳が遠いせいもあるのか?熟睡できる。早く寝て、早く起きる。それが健康の秘訣、長生きの元であると本人も自覚している。
だが、やはり年齢は隠せない。畑仕事をしていて、木などに身体のどこかをぶつけると、そこの皮膚がすぐ紫色に変色してアザになる老人特有の兆候があった。
「年を考え、無理をしないで気を付けて」と、私は心配して冗談のようにわざと、年を強調して明るく言う。
「わしはメガネがいらないから、まだまだ若い」と、笑いながら反論する。
驚いたことにお爺さんもお婆さんもまだ、老眼鏡が要らないのだ。私はすでに老眼で、左目に軽い白内障がある。だからいつも老眼鏡を着用している私を「四つ目」だといってからかい返して、お爺さんは優しく笑う。
お爺さんは眼が良いが、大工仕事で耳を悪くしてから良く聞こえない。いつも使用している補聴器の調子が良くないので、誕生日に補聴器をプレゼントすると、とても喜んでくれた。
お爺さんが、補聴器を使用しない時、私はいつも耳元で大きな声で話し掛ける癖がついてしまう。年配の人や耳が良く聞こえる老人にも、つい耳元で大きな声で話し掛けてしまって、
「聞こえるから!」と叱られて苦笑したことが時々あった。
お爺さんは、年寄りにしては驚くほど身体が柔らかい。
「わしは丈夫だからと寝ながら短い両足を高く上げ、素早く交互に動かして見せる」
88歳という高齢なのに、そのあまりに身軽な動作が可笑しくて、つい笑ってしまうが、私はいつも感嘆、羨望の気持ちに陥ってしまう。お爺さんより20歳も若くても、腰が悪い私には到底マネができそうもないからだ。
私たちは、近所や仕事関係の人によく親子と間違えられた。いつも一緒に出掛けるし、20歳も年が離れているから、そう見られても仕方がない。最初のうちは否定していたが、しまいには説明するのが面倒くさくなって親子で通していた。お互いに強情で頑固な一面もあったが、一度も喧嘩したこともなく、実際、親子以上に仲が良かった。
お爺さんは若い時に、車を衝突される交通事故で重傷を負い、右肩に金属が入っている。その後遺症で右肩が時々痛むのだが、車の運転も問題なく上手に運転していた。
「90歳まで、まだ免許返納はしない」と、次の免許更新に備えて、認知症機能検査の高齢者ドライバー脳活ドリルのムックまで購入して、私に見せてくれていたのに……。
「年寄りみんなが悪く見られるから嫌だ」と、テレビで旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三(89歳)が起こした池袋の自動車事故、母子二人が死亡した悲惨な交通事故の映像が、テレビに放映される度にお爺さんはつぶやいていた。
お爺さんは健康に自信を持っていたので「年寄りだ」と、言われることを毛嫌いしていた。4月初旬、まだ寒さは続いていた。お爺さんはいつも半袖シャツの薄着で私を心配させた。
何故なら2年前の冬、新型コロナウイルスが流行する以前に寒さに強いはずのお爺さんが、一度だけ風邪を引いて寝込んだことがあったからだ。
「もうすぐ暖かくなるから、ストーブの灯油は買わなくてもいいよ」と、言っていたのに、お爺さんは寒がりの私を気遣って18リットルの灯油を買って来てくれた。
「さすがに若い頃とは違い、筋肉の衰え、老いを意識した」
その灯油缶が重荷に感じられたと少し恥ずかし気に打ち明けたお爺さん。手足がいつも冷たいが、それは体質だと言い張る。血圧は少し高めで、血圧を下げる薬を飲んでいるが、それ以外、特に身体のどこも悪い所はなく、健康そのものなのだ。
人生100年時代と言われる。健康なお爺さんは100歳まで生きていても不思議でないし、私もそう思っていたのだ……。まさか突然、私より先に死ぬなんて思いもよらなかった。
「お爺さんより若い私の方が先に死ぬかも知れない」と、心配してくれた。私もそう感じる。お爺さん不在の重みがひしひしと感じられ、数々の思い出や、心の触れ合いを思い出すと愛おしくて涙が自然に出てくる。いつまでもどこまでも、悔やまれてならない……。
「病に倒れる前日に、私が一緒に居てやれば助けられたかも知れない」と思うと、悔しくて熱い涙がポトリと零れ落ちた。
「神様は、試練に耐えられる者にしか、試練を与えない」という。
今の私にはこの悲しみの試練に耐え切れず、乗り越えられそうもない。
人の命なんて、いつ失われてしまうか?解らない。産まれてすぐに死んでしまう赤ちゃん。10歳で思わぬ交通事故に遭って死ぬ子供、40歳でガンを患い早死にしてしまう大人、10 0歳まで長生きして老衰で亡くなる老人。人はあらかじめ決められた運命、人それぞれの運命に導かれながら生きているのかも知れない。もし、人が死ぬまでの時間の長さが決定されているとしたならば、死ぬまでの残された時間をいかに生きるか?が重要だ。死んで骨になって埋葬されてからでは、名声を残せる場合もあるが、現実には何も残らない。肉体に血が宿る間に生きている意味、意義を探し出さなければ人生は味気ないものになってしまう。
朝、身体と腰の辛い痛みで目覚める。腰の手術は一応、成功しているらしいが、腰に4本のボルト、硬い異物が混入しているのだ。身体が拒否反応しても当然のことだと思う。コロナ渦では、新型コロナウイルス感染が心配で、リハビリセンターへも満足に通えない。
全体が捉えられないバラバラな意識感覚で、ぼんやりとしながら硬直した手を見つめる。強張った手の指をゆっくりと動かすと、徐々に心の痛みもむっくりと起き上がって来る。
人生100年まで生きられて、腰に入れたボルトと同じように頭に人工知能を入れることができれば、悩み事や孤独感とはサヨウナラできるのかも知れない。
ぐっすり眠れる爽やかな朝は、ここ数年間、忘れてしまっている。真夜中、怖い夢を見て魘され、汗びっしょりになって起きる。時々、金縛りにもなることもある。寝返りを打っただけで足が攣ってしまい、夜中に足が痛くて目覚めることもある。
今まで気にならなかった小さな音まで、気になり始めて良く眠れない。ストレスが溜まり不眠症になってしまったので、睡眠薬の服用も考える。
若い時には恋愛や仕事、人生の生き方について悩み、眠り薬を飲んだこともあるが、酷い頭痛を伴ったので、私に睡眠薬は合わなかった。ノイローゼ状態になり「死」を考えた事もあったが、幸いにも自殺するまでには至らなかった。
しばらくの間、玄関から一歩も出ず、どこへも出掛けない日々が過ぎた。私にとって大切な人、誰からも好かれた友人を失った悲しみは言葉にできない……。何もしたくない、何もできない虚ろな日々……。
私は話好きだと、よく人から言われるが、何日も人と会話していないことに気づいて愕然とする。新型コロナウイルス感染予防の意味もあってずっと家に引き籠り状態だから仕方がないのだ。
お爺さんの死の訃報は『新型コロナウイルス感染死』の疑いがあるから、まだ誰にも伝言していないし、みんなが見えない恐怖に慄いているから、そう簡単に話せるような状況ではない。誰か親しい友人にこの苦境を話せば、いくらか気が楽になるかも知れないが、今はまだ、私の胸にそっと仕舞って置くしかないのだ。
コロナ自粛で人とのつまらないおしゃべりを控えることが、ストレスになって鬱状態に陥っていたのだ。くだらない日常会話によってストレスを発散することができるという重要性に改めて気が付いた。もともと家族団欒生活とは縁遠く、独身生活に長く慣れ親しんで来たので、精神的に強かったはずなのに……。心に穴が開き、空気が抜けてしまった風船みたいに気持ちがしぼんで、何もやる気が起こらない。
お爺さんが、そばにいただけで心が安らいだことに気づかず、現実に居なくなってから、いかに大切な存在であったか、何も言わずに分かり合える深い絆を、改めて思い知らされた。独り身の哀しさが、粉雪のように冷たく心に降り積もる。
「新しい熱い湯はあまり年寄りの健康に良くない」と言われているので、お爺さんが泊まった夜、お風呂はいつも私が先に入る。実はお爺さんより先にお風呂に入るもう一つの理由、訳がある。
お風呂の残り湯を抜く時、最後の水がズズッーと音を立てて吸い込まれ消えていく。その音と一緒に自分の身体も吸い込まれてしまうのではないか?という恐れ、空想を子供の頃から抱いていた。自分という存在が失われる恐怖感を大人になっても感じてしまう。喪失感の心理的不安がトラウマとなって残っているのだ。
その感情が嫌いだから、なるべくお爺さんにお風呂のお湯を落としてもらうのだ。
お爺さんはそんな私の深層心理も知らず、ゆっくりとお湯に浸かり、気持ち良さそうに湯気に包まれた後、いつも綺麗にお風呂を掃除してくれていたのだ。
お爺さんがお風呂に入る時、そんなにお湯がぬるい訳でもないのに、お湯が冷めるからといって、必ず浴槽の蓋をして、顔だけ突き出して入浴する癖がある。その姿を見ると面白くて、つい笑ってしまうのだ。だから私は、お湯がぬるくなると悪いので、いつも熱い湯に入っていた。もっとも寒がりの私は、熱い湯でないとちっともお風呂に入った気がしないのだ。
今でもお風呂に入る時、お爺さんが湯船に蓋をして、顔だけちょこんと出して入浴している場面が思い出されて来て、じっと黙浴している……。
お爺さんは、声が少しかすれていて声が良く出ないから、カラオケでもあまり歌を歌おうとしない。それでも時々、湯船に浸りながら懐メロを口ずさんでいた。
お爺さんが居なくなった部屋に、ただ一つ残されていた悲しいギター。お爺さんが若い時に独学でギターを練習していたから、古賀メロディーの演歌が好きだったようだ。
「まぼろしの 影を慕いて」
「雨に 日に」
「月にやるせぬ わが想い」
「つつめば燃ゆる 胸の火に…」
藤山一郎の『影を慕いて』とても切なくて、人恋しくなってしまう哀愁のメロディ。
新型コロナウイルスによって、骨董市や盆栽市の仕事もなくなって、生活が不安定になり、今まで通りの「普通の日常」」が剥奪された。
あいさつ程度で付き合いのない近所の家々では、コロナ自粛生活か?自宅にいる時間が増えるから、普段したことのない家事や日曜大工をしている。
今まで手入れなどしたことがない庭に、突然、穴を掘って野菜の苗を植える若い夫婦の姿は、どこか不自然で滑稽でもある。
コロナ自粛で自宅にいる時間が多いから、男が家庭の仕事をさせられて、思わぬ好評価を得たりする。時間を持て余すから掃除や片付けをして要らない物を思い切って捨てる。古着などの家庭ゴミが大量に出て、増え続けるから市町村のゴミが焼却許容量を超えてしまう。
「断捨離」で出て来た思わぬブランド品や骨董品を売り払って、生活の資金の足しにする人もいる。コロナ渦によって様々な社会現象が、継続して起きているようだ。
最近、マスクをしながら散歩する人が目立って増えた。中国では犬にマスクをさせて散歩する映像や一度に数枚のマスクを重ねて装着する中国人男性の姿がテレビで放映されるが、何故か?素直に笑えないのだ。
一方でマスクを着けない人を警棒で叩き、警官が検挙する。感染源の武漢は閉鎖されて、人々の姿が街から消えてしまった。
スーパーの買い物客も以前より疎らで、人と人との距離が感じられる。ソーシャルディスタンスの効果か?新型コロナウイルスの影響で、テレビを見ても再放送番組が多くてテレワークの映像が目立つ。その見慣れない光景がとても不自然に見えて、ちっとも面白くなくて笑えそうもない。
26/08/18 20:18更新 / 河志摩 運
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